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「アジア大会くらいできないと」順調だった招致から一転、愛知・名古屋が直面した「想定外」の10年

2026年10月26日 05時10分 (10月26日 09時45分更新)

歓声のあと アジア・アジアパラ大会に
 アジア・アジアパラ大会(愛知・名古屋大会)は24日にパラ大会が閉幕し、全ての日程を終えた。2016年の招致から10年。持続可能性を掲げ、地方都市として経験のない大規模な大会を開いた愛知・名古屋では何が起き、何が残ったのか。全6回で検証する。
 
(1)「アジア大会くらいできないと」順調だった招致から一転、愛知・名古屋が直面した「想定外」の10年(この記事)

愛知・名古屋アジア大会の閉会式で、OCAのシェイク・ジョアン会長に大会旗を手渡す愛知県の大村秀章知事(中央)。組織委員会は、OCAとの交渉に苦慮してきた=4日、名古屋市瑞穂区のパロマ瑞穂スタジアムで

 文面に怒りがにじんでいた。2024年12月初め、愛知・名古屋アジア大会の運営を担う組織委員会に、主催団体のアジア・オリンピック評議会(OCA)から届いた電子書簡。「もう歩み寄ることはできない。この状況では大会を円滑に開催することは困難だ」
 選手村整備を見送った組織委に対し、OCAは宿舎を集約したエリアを設けることを求め、3日後までに覚書に署名するよう念を押した。直近で、OCAの判断で他の大会が中止になった例が相次いでいた。「開催権の剝奪」。最悪のシナリオが、組織委内によぎった。
 その8年前、16年9月。ベトナム・ダナンで開かれたOCA総会の会場で、大村秀章愛知県知事と河村たかし名古屋市長(当時)が、OCA会長と笑顔で写真に納まった。愛知・名古屋での大会開催がここで決まった。
 大会招致時、大村知事らの念頭にあったのは、27年に予定されたリニア中央新幹線の開業との連動。大型イベントに手慣れた電通元社員の寺西睦(むつみ)県議(自民)は県議会の質問で取り上げ、大村知事にも持ちかけた。背景にはこんな思いがあった。「リニア以外で、独自に夢を描ける話が必要。(招致に敗れた)1988年の五輪に手を挙げた街なので、アジア大会ぐらいできないといけない」
 県が先に動き、市も共同開催に同意。「五輪と並ぶ規模の大会でリニアを発信し、愛知・名古屋の知名度を高め、地域経済にも大きな効果をもたらす」。当時2期目の大村知事は16年5月、河村氏との共同会見で招致の理由を語った。
 日本オリンピック委員会(JOC)は20年東京五輪への機運盛り上げのため、他大会の国内招致を呼びかけていた。アジア大会はベトナム・ハノイが資金難で辞退し、インドネシア・ジャカルタが18年大会を代替した。OCAは経済的に安定した国での開催を求めていた。招致に携わった県の元幹部は「三者三様の思惑が重なり、あれよあれよという間に決まっていた」と振り返る。
 しかし開催決定までの順調さと裏腹に、その後の10年にはいくつもの「想定外」が待っていた。リニア開業時期は未定に。新型コロナウイルス禍で、東京五輪・パラリンピックは1年延期の末に無観客開催となり、運営のノウハウを参考にできなくなった。前回大会の中国・杭州大会も1年延期され、準備期間が3年に。スポンサー集めが立ち遅れた。
 「苦渋の決断」(大村知事)となったのは、建設費高騰による選手村整備の見送り。異なる競技の選手同士が交流する大会の象徴をなくすことに、組織委内にも驚きが走った。
 OCAはクウェートに本部を置き、中東の王族らが幹部に名を連ねる。五輪並みの大会を目指すOCAに対し、組織委職員は「お金がないことを理由に要求を断ることが多かった」と振り返る。開催都市契約にある選手村さえ見送ったことで、OCAの姿勢は強硬になっていく。24年12月、組織委との間で改めて覚書を締結。OCAはホテルだけでなく、クルーズ船や移動式宿泊施設を活用して選手を集約する宿泊計画を約束させた。
 組織委に入る県と市の職員たちにとっては未知の領域の交渉。「大会の価値を下げるな」。OCAは強い要求を重ね、組織委は開催半年前まで競技追加を受け入れた。「見えない上下関係」(組織委職員)は、大会準備に影を落としていった。
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