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日本シリーズ4連敗で敗れ去った藤川阪神、短期決戦で大事なのは《流れ》 思い返せば40年前の日本Sでも…広岡西武が《流れ》を手放した一手

2025年11月2日 11時26分

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ファンへのあいさつを終え、引き揚げる藤川監督(手前)と阪神ナイン=10月30日


◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」
 ソフトバンクに傾いた《流れ》をついに引き戻せず、藤川阪神は第2戦から4連敗であっさりと敗れ去った。「日本シリーズの流れは1個のエラーやちょっとした采配ミスで変わる。その傾いた流れを引き戻すには、主砲のホームランか投手の完封しかない。点をやらんかったら勝てるんやから」とはよく言われた《格言》だ。
 10月30日の第5戦もその《格言》通りになりかけていた。5回2死一、二塁で佐藤輝がヘルナンデスから中堅へタイムリーヒットを放ち、貴重な2点目を挙げる。投げては先発の大竹が緩急を使った見事な投球でソフトバンク打線を翻弄。6イニングを3安打、3奪三振、無四球で「0」に抑えていた。投球数はまだ74球。
 ところが阪神ベンチはその裏、6回2死1塁の場面で回って来た大竹の打席で代打・中川を送り(右飛)、7回から継投策に出た。ある評論家はこう指摘した。
 「2点のリードをより確実に守りに行ったんだろうが、流れをつかめていないチームにはそれが逆目に出る。あのまま大竹に『完封してこい!』というぐらいのベンチに強い《気》がないと、勝負の流れは引き戻せないもんなんだ。これは結果論ではなく経験論だけどね」
 《気》の問題とは難しい…。この日本シリーズ、先勝して阪神に向きかけた《流れ》を変えたのは、第2戦のデュプランティエ投手の先発にある―と言われている。下半身の体調不良を訴え、8月9日のヤクルト戦を最後に1軍での登板もなく2軍で調整していたデュプランティエをなぜ、藤川阪神は大事な2戦目で起用したのか。「才木投手の故障か」という声も聞こえたほど。阪神ファンの疑惑はそのまま、1回3失点という結果となって表れた。前述の評論家はこう分析した。
 「おそらく阪神ベンチは第2戦でモイネロが登板すると予想し、才木を甲子園の初戦(第3戦)に持っていく作戦を立てていたのだろう。とはいえデュプランティエの登板自体は決して悪い作戦ではない。問題なのは立ち上がりの状態を見て、なぜ、1回の3失点でスパッと交代させなかったのかという点だ。2回の攻撃で阪神は7、8、9番。普通なら9番のデュプランティエのところで代打。だが、1、2戦はDHで投手の打席はない。だから…」
 2回のマウンドに上がったデュプランティエは1死から牧原に四球を与え、2死1塁で周東に左翼三塁打されると四球、暴投、二塁打…でKO。代わった岩貞も2死一、二塁から山川に左中間へ1号3ランを打たれ、アッという間に9失点。絶対に調子づかせてはいけない山川に打たれ、さしたる反撃もないまま1-10で藤川阪神は2戦目を落とした。
 「これまで勝てなかった福岡で1勝1敗。御の字―と思っていたのなら大間違いである。1回を3失点で収め、そのあと点を競り負けたのならそういってもいいが、同じ敗戦でも《負けの重み》が違う。選手たち自身がソフトバンクに傾いた《流れ》の強さを肌身で感じたんじゃないかな」
 《流れ》の大事さ、怖さ―は筆者がトラ番記者だった1985年の吉田阪神―広岡西武の日本シリーズでも痛感したことがある。
 85年、吉田阪神は敵地・所沢での第1戦、第2戦を連勝し本拠地・甲子園球場で第3戦を迎えた。一気に王手だ!と燃えて臨んだ試合だったが…。西武も意地を見せ、2回に石毛の2号2ランなどで4点を奪う。阪神も3回にバースの3試合連続の3号3ランで追い上げたが、3-5と西武2点リードで迎えた6回、無死二塁でマウンドに上がったエース東尾に阪神ベンチもスタンドのファンもしびれ上がってしまった。
 マウンドで手を合わせ、「すみません」と謝る3番手の永射に「バッキャロー!1イニング早いんだよ」と笑顔でボールを受け取ると、岡田、佐野、平田をわすが6球で片付けてしまう。
  「予定より1イニング早かったが、気持ちで投げたよ。猛虎打線? オレには投げやすいチームだ」
 格好いい! そんな東尾が最後に控えた西武は第4戦も阪神を翻弄。2-2の9回に西岡が左翼ラッキーゾーンへ2ランを放つと、9回1死から東尾が登場し2勝2敗のタイに持ち込んだ。本来ならエースの東尾は先発。だが、広岡監督は日本シリーズ用の《抑え》として東尾を起用。その作戦が見事にはまったのだ。
 2勝2敗のタイスコアとはいえ気分はまったくの劣勢。そして奇しくも同じ10月30日、第5戦を迎えた。当時は「先発予告」はない。各スポーツ新聞の西武の先発予想は目下売り出し中の2年目、20歳の渡辺久信。85年シーズンは先発とリリーフを兼任、43試合に登板し8勝8敗11セーブ。まさに《若獅子》の登場だった。だが、そんな予想に反してマウンドに上がったのは小野和幸投手。金足農高から80年のドラフト外で西武に入団。85年シーズンは11試合に投げ3勝2敗。
 東尾には翻弄される猛虎打線だが小野には荷が重い。先頭の真弓が内野安打で出塁すると2番・弘田がバントで送る。バースが四球で歩くと主砲・掛布が中堅バックスクリーンへ1号3ランを叩き込んだ。さすがに西武ベンチも「続投」の過ちは犯さない。27球で降板させて打線の反撃を待った。
 だが、抑えの東尾が作った「西武恐るべし」の沈滞ムードは主砲の3ランで雲散霧消。一気に勝負の《流れ》は阪神に傾き、7-2で快勝。初の「日本一」へ王手をかけたのである。あとで聞いた話だが、第5戦の試合前、吉田監督は選手たちを集めてこう言った。
 「今日が甲子園でやることし最後の試合や。みんなの精一杯のプレーをファンの人たちに見てもらおうやないか。ほな、頑張っていこか!」
 どこにも悲壮感なし。なぜか明るく弾んだ吉田監督の声に選手たちはみな驚いたという。そしてその言葉に選手たちは目が覚めた。そういえば、この試合に臨む前、記者たちに囲まれた掛布もこんな言葉を発していた。
 「考えてみれば、第1戦も第2戦もウチとすりゃぁ負けていた試合。たまたま勝ちを拾っただけ。本来なら昨日の負け(第4戦)で西武の完全優勝。そう考えたら気が楽。あとはこうして応援に来てくれたファンのために、最後の試合をウチらしい勝利で飾るつもりでやればいいんだから」
 勝負の《流れ》とはいろんな熱い思いが絡み合ってつくられるもの。ソフトバンクに敗れた阪神に何が足らなかったのだろう。
 「悔しくはない。悔いが残るようなことは全くしてませんから。相手が強かっただけです」。藤川監督らしいなぁ。若い監督の悔しさが伝わってきた。
 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の69歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
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