【竜キャンプ今昔物語(1)】中堅後方に東大寺大仏殿、左中間後方には南大門…1954年、初の『日本一』への道は奈良から始まった
2026年2月5日 05時45分
球団創設90周年を迎えた中日の春季キャンプが始まった。1946年の鹿児島・鴨池に始まり、現在の沖縄・北谷、読谷まで中日のキャンプ地は20カ所以上。そこには、その年々、その土地土地の物語がある。節目の年にいま一度、先輩たちの汗と涙がしみ込んだ”聖地”を訪問。竜戦士たちの球春の足跡を4回に分けてたどる。
1945年の終戦から3カ月後の東西対抗戦を経て、8球団によるプロ野球のリーグ戦が再開されたのは翌46年4月。ホームグラウンドを持たない中日は鹿児島市の鴨池市民球場で開幕に向けた準備を進めた。これが球団として最初のキャンプとされている。
その後、愛知県鳴海町(現名古屋市)の鳴海球場、48年12月に本拠地として完成した中日球場や熱田球場、兵庫県芦屋市、静岡県大仁町(現伊豆の国市)でキャンプを実施。初めて1、2軍大所帯での合宿を実施したのが54年の奈良キャンプだった。
使用したのは奈良公園内の県営春日野球場。奈良は盆地で風もなく比較的暖かいというのがキャンプ地決定の理由だったが、この年は雨天続きで、球場が使えない日は近くの学校や神社の境内でキャッチボール、ランニングに汗を流した。
セ・リーグの招きで元ヤンキースのスーパースター、ジョー・ディマジオが人気女優マリリン・モンローとの新婚旅行を兼ねて来日したのもこの年。現役時代2度の首位打者に輝いたレフティ・オドールらと各キャンプ地を回り、技術指導も行った。
ディマジオの一行が奈良を訪れたのは2月17、18日の2日間。このときも雨で、グラウンドでの指導は一日のみ。西沢道夫のバッティングを見たディマジオは「ベリーグッド」を繰り返し「直すところは何もない」と言ったそうだ。
当時、3Aの監督を務めていたオドールはバントやエンドランを絡めた「インサイドベースボール」が、チームの勝利には必要と説いた。彼らの指導が功を奏したのか、この年の中日は巨人の4連覇を阻止し初のリーグ優勝を果たすと、パの覇者・西鉄も下し日本一に上り詰めた。
中日は翌55、57年にも奈良でキャンプを行っている。春日野球場は88年の「なら・シルクロード博」の会場となり閉場。中堅後方に東大寺大仏殿の屋根、左中間後方には南大門がそびえ、かつて審判員の二出川延明に「環境においては日本一」と言わしめた球場の跡地は、今は整地され、芝生広場として市民や観光客の憩いの場となっている。 =敬称略=
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