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どこが投手王国なんや…長かった虎ファンの1週間「投手の2年連続での活躍は難しい」あるOBが憂う“今の時代”

2026年4月27日 11時07分

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阪神・藤川監督


◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」
 やっと勝てたぁ…。これが虎ファンの正直な気持ちだろう。4月25日の広島戦(甲子園)、1点リードで迎えた9回の守備、先頭打者・小園の遊ゴロを小幡がファンブルして出塁を許したときには「また追いつかれるかも」と筆者も思ってしまった。
 幸運?だったのは次打者が4番・モンテロだったこと。違う打順なら前日の試合のようにバントで得点圏に走者を進められ、プレッシャーかけてくるところ。だが、4番・モンテロだけにそうはいかない。ドリスが踏ん張り、進塁打でもない三塁邪飛に打ち取ったところで《勝利の女神》は阪神にほほ笑んだようだ。
 阪神の放った安打はわずか2本。そのうちの1本が4回に飛び出した主砲・佐藤輝の右中間スタンドへの6号ホームラン。この1点を先発・大竹―桐敷―ドリスの継投で守り切った。まさに辛勝、実に1週間ぶりの勝ち星である。
 いやはやこの1週間、虎ファンには長く感じられたことだろう。「どこが投手大国なんや!」と目を疑ったに違いない。
 中日に3連勝して意気揚々乗り込んだ横浜スタジアム。21日のDeNA戦では投入した6投手がなんと11四死球を与え、14安打16失点の屈辱的大敗。翌22日の試合には若い21歳の茨木が先発したが、1回に打者一巡の猛攻に遭い、いきなり4失点。3回に大山のこの2本目のホームラン(満塁)が飛び出して一旦は逆転したが、またしても投手陣が踏ん張り切れず、結局5投手が15安打され7失点で連敗。
 雨のおかげで3連敗は免れたものの、出直しを誓った本拠地・甲子園球場での広島戦(24日)で今度は守護神・岩崎が1点のリードを守り切れずに2-2の引き分け。突然の《投壊現象》に唖然とするばかりだ。ところが、あるOBによるとこの状況は開幕前から「予想していたこと」という。
 「どの評論家も一応、阪神のダントツ優勝を予想してるが、それは昨シーズンのように主力選手に大きな故障もなく、投手陣が昨年に近い働きをする―ということが前提。でも、そううまくはいかないと誰もが思っている。特に投手陣に関しては2年連続で活躍するのは難しいんですよ」
 なぜ投手陣が2年続けて活躍するのは難しいのだろう。そのOBは続けた。
 「投手の肩やヒジは消耗品です。100イニング以上投げた選手の筋肉はボロボロ状態になっている。オフにどれだけ徹底的にケアをしているか。いまの選手たちはほとんどできていないと思いますよ。筋肉にまだ疲れが残った状態で今季を迎えている。だから昨年よりボールも思ったように行かない」
 確かにエースの村上にしても才木にしても投球に昨年のような《切れ》は感じられない。昨年、村上は26試合に登板し175回1/3を投げ、才木も24試合157イニングを投げている。その筋肉疲労は並大抵のものではない。
 「我々の時代には秋季練習が終わると強制的に治療させられましたけどね」。1980年代、阪神の選手たちは秋季練習が終わると、ほとんどの主力選手たちは和歌山県那智勝浦町の「町立温泉病院」で専門医師たちの治療を受けた。毎日数回、温泉に浸かり、鍼、灸、電気、マッサージなど治療を約1カ月近く受ける。
 筆者も何度か取材に勝浦町を訪れたが、温泉病院での1日の治療が終われば、楽しみといえば宿舎(ホテル)前の海に釣り竿をたらして魚釣りをするか夕食ぐらい。のんびりし過ぎて逆に苦行のような治療生活だったのを覚えている。
 だが、そんな制度も「12月や1月まで球団に縛られたくない」というプロ野球選手会全体の流れのなかで消滅。その後は選手個人の責任で体のケアを行う―という形になっている。
 「オフに遊びたいという気持ちはよくわかる。特に優勝すると行事も多くなるし遊べる時間が少なくなる。でも、身体は商売道具だから…。昔はどうやって肩やヒジをケアすればいいかは、先輩から教えられたものだけどね」
 才木の好投、桐敷の好中継ぎ、ドリスの踏ん張りで連敗は免れた。だが、守護神・岩崎への不安は消えていないし、昨年の石井や及川のような中継ぎの《核》になる投手も現れていない。
 「苦しくとも新しい戦力に経験を積ませ、育てながら戦うしかない。それは藤川監督も開幕前からよく理解しているし、事実ここまでそうやって戦ってきている。それで15勝8敗1分け(4月26日現在)の首位に立っているんだから立派なものだと思う」
 そしてOBは最後にこう締めくくった。
 「投手陣が打たれたら、それ以上に打線が打ってやればいい。5点取られたら6点とる。逆に1点しか取れないときには投手陣が踏ん張ってゼロで抑える。それがチームワーク、チームがひとつになることだと思うよ」
 《チーム一丸》―久々に聞いたフレーズである。それは亡き吉田義男監督がよく使っていた言葉である。1985年8月12日、阪神は「日航機墜落事故」で球団社長の中埜肇氏を失った。そのショックの影響か、投手陣が打ち込まれ13日からの巨人3連戦(後楽園)に3連敗。そして17日からの広島2連戦(広島)にも敗れて5連敗。その18日の夜のことである。
 ナイターを終え広島の宿舎「きっかわ観光ホテル」で夕食をとった後、主力野手陣が大広間に集まった。ベテランの川藤や真弓、佐野、掛布、そして当時選手会長を務めていた岡田もその席にいた。目的は崩壊状態になった投手陣(特に先発陣)をどうすれば立て直すことができるか―の話し合いだった。ああでもない、こうでもない―といろんな意見が出た。だが、最終的にまとまったのは、当時、比較的安定した力を発揮していたリリーフ陣3人、福間、中西、山本を「それぞれ3イニングづつ投げさせろ」という実に無茶苦茶な提案。だが、その時の選手たちは真剣に話し合ったという。当時のことを後年、岡田氏(現オーナー付き顧問)はこう回想した。
 「みんなちょっとお酒も入ってたしね。勢いでそんな結論になった。それで、カワさん(川藤幸三氏)が『オカ、お前、選手会長なんやから、これから監督の部屋行って、監督に進言してこい!』って」
 ―ホンマに行ったん? 
「しゃあない。そういうムードやったし。吉田監督に言うたよ」
 ―それで監督は? 
 「そんなアホなことできまへんわ―と却下された。けど、それから数日後に提案したような投手起用して勝ってんねん」
 実はこの話を生前の吉田義男氏に質問したことがあった。吉田氏は嬉しそうにこう振り返った。
 「そんなことがありましたなぁ。却下しましたけど、ほんまは嬉しかった。野手が真剣に投手陣のことを心配している。それがチーム一丸になる―ちゅうことですわ」
 広島戦のあと、8月20日の大洋戦(横浜)にも敗れ6連敗。3位に転落した吉田阪神だったが、ここから《奇跡の巻き返し》が始まったのである。
 藤川阪神も球団初の連覇へ向け、まだ24試合を消化したばかり。これから幾つもの山や谷がやってくる。
 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の70歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
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