「81年前の今、多くの人が亡くなったのかと背筋がぞわっとした」 広島原爆の日、岐阜県の遺族代表も参列
2026年8月7日 05時10分 (8月7日 05時10分更新)
多くの命が奪われた原爆投下から81年。6日の広島市の平和記念式典には、岐阜県の遺族代表として多治見市の三浦節子さん(81)が参列した。広島は、4歳で被爆した夫靖弘さんと、原爆の犠牲になった夫の父親が眠るまち。昨年亡くなった夫の遺影を手に初めて参列し、同伴した長男の靖樹さん(56)と祈りをささげた。 (伊勢村優樹)
午前8時15分、原爆投下時刻の黙とうの鐘が、会場の平和記念公園に響いた。靖樹さんは「81年前の今、多くの人が亡くなったのかと背筋がぞわっとした」と語り、節子さんは「夫は父親の遺骨も見つからず悔しかったと思う」とつぶやいた。
靖弘さんは当時の広島市西観音町出身。4歳の時、自宅で朝食中に原爆が投下された。爆心地から1・3キロ。振動で家が揺れ、吹き飛んだガラス片が家具や柱、床に突き刺さった。奇跡的にけがは免れたが、仕事に出た父親は帰らぬ人に。工場を経営していた父を突然失い、その後の生活は困窮を極めたという。
広島の大学を卒業後、教科書の出版社で働いた靖弘さんは転勤をきっかけに、40代で名古屋へ。多治見市に移り定住したが、生前は被爆体験を表だって語ることはなかった。三重県で小学校教員を務める靖樹さんが「児童に体験を話してほしい」と頼んでも断った。ただ、節子さんによると、強い憤りを見せたことが...
この記事・コンテンツの続きは会員限定です。
紙の新聞の定期購読者の方は、無料で会員登録できます。
- 中日プラスに登録すると
- 中日新聞電子版が利用できる
- 会員向け記事が読み放題
- 各種メールマガジンで最新情報をお届け
※紙の新聞とは、中日新聞朝刊・北陸中日新聞朝刊・日刊県民福井です。
おすすめ情報