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月日がたった今は懐かしいが…本当は逃げ出したかった小学校 サポート乏しく、日本語分からず孤立

2026年9月8日 12時00分 (10月1日 11時42分更新)

【連載】ホーミー
 海外ルーツの住民が多く暮らす地域社会に迫る連載「ホーミー」は7~8月に掲載した23~34回で、日本語が不自由な外国人の子供たちへの教育支援を描いた。35回目からは、親になった当時の子供たちや次世代を担う若者を取り上げる。(この連載は、西尾通信局・西山輝一、国際部・藤川大樹、生活部・中根真依が担当します)
 
(35)月日がたった今は懐かしいが…本当は逃げ出したかった小学校 サポート乏しく、日本語分からず孤立(この記事)
(36)小学校卒業してまもなくの工場作業 いじめられた学校より「まし」
(37)夜間中学校に通うジョイセ、手本は褒めて伸ばすベテラン教諭 「よりよい人間になりたいんです」
(38)「デカセギ」の親に連れられて来日した子供たち 教育不足、世代を超えて負の連鎖に
(39)ブラジル行きの移民船で出会った曽祖父母は「タイタニックみたい」
(40)「日本育ちなんだから当たり前じゃん」ブラジルと日本のはざまで…
(41)マチュリティーで気付いた「ルーツ選ぶ必要ない」 日系ブラジル人4世、上京で変化した心境
(42)漠然と「自分は日本人」だと思っていたが…未知の「母国」へ帰る
(43)転校から1年でポルトガル語を話せるように 数年後、「あなたはブラジル人よ」と親から言われ…
(44)日本とブラジル、両国知る自分だからこそ 「十人十色」の子どもたち、架け橋となる支援を
(45)望郷への思いを募らせる両親 夫とともに日本に残る選択「暮らしやすいのは日本」
(46)「もう会えなくなるかもしれないんだよ、いいの?」父と母は帰国、 私は…

・第1部初回の記事などはこちらから

メンデス・ジョイセさんがかつて通っていた小学校=浜松市内で

 桜が舞い散る今年4月、かつて通った小学校の門を二十数年ぶりにくぐると、懐かしさがこみ上げてきた。「ああ、こんな感じだったな」。グラウンドも遊具も当時と同じままだ。
 外国籍の子供たちが多く在籍する浜松市内の小中学校で2025年6月から就学サポーターを務める日系ブラジル人3世、メンデス・ジョイセ(35)は今春、受け持つ学校の一つとなった母校を再訪した。 
 月日がたった今だからこそ、学びやの風景を懐かしいと思える。だが、ジョイセにとって小学校は「逃げ出したい」場所だった。
 ブラジルの最大都市サンパウロ市から西に100キロ離れたソロカバ市で生まれた。両親は1995年ごろ、「デカセギ」のため日本に移り住み、工場などで働いていた。ジョイセと姉の姉妹は祖母たちに預けられたが、1年後に一時帰国した父と日本へ渡った。ジョイセが5歳の時のことだ。
 浜松市内の小学校に入学したが、日本語は全く話せない。当時はまだ小学校に外国籍の児童が少なく、日本語の初期指導をする教室やサポーターなど支援態勢も整っていなかった。
 次第にジョイセは周りの児童たちから仲間はずれにされたり、上履きを隠されたりするいじめに遭うようになった。学年が上がるにつれて言葉は分かるようになったが、「楽しいと思ったことはなかった」。下校時、男児たちに追いかけられて自宅まで逃げ帰ったことも。担任に話しても、真剣に取り合ってはもらえなかった。
 「言っても信じてくれないし、何もしてくれない。じゃあ、もういいや」
 もう学校に行きたくないと言っても、親には「学校は大事だから」と諭された。「そこまでひどいとは思っていなかったと思う。勉強が嫌いだと思っていたんじゃないかな」と振り返る。当時、担任から配られる学級通信の漢字を親は理解できず、文面の翻訳もなかった。卒業したジョイセは中学校には進まず、アルバイトに精を出した。 =文中敬称略

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