「好きな席でいいよ」と言う彼は、いつも私を壁側に座らせる。居酒屋で通路側に先に座った日のこと
「好きな席でいいよ」と言うのに
付き合って1年になる彼は、店に入るたびに「好きな席でいいよ」と言います。けれど、私が通路側の椅子に手をかけると、先に壁側を指して「あ、こっちどうぞ」と笑うのでした。ファミレスでも、ラーメン屋のテーブル席でも同じです。
一度だけ「なんで私ばっかりこっちなの?」と軽く聞いたことがあります。彼はメニューをめくりながら「なんとなく」と答え、話はそれきりになりました。
壁側の席が嫌なわけではありません。ソファはやわらかく、荷物も横に置けます。気になっていたのは、好きな席でいいと言われながら、自分で選んだ覚えが一度もないことでした。
先に座った通路側の椅子
彼が予約してくれた居酒屋で、私は試してみることにしました。入り口で「好きな席でいいよ」と言われたあと、彼がトイレに寄っている間に、通路側の椅子へ先に座ったのです。
戻ってきた彼は、上着を持ったままテーブルの横で足を止めました。壁側のベンチには目を向けず、しばらく私のほうを見ています。
「ごめん、代わってもらってもいい?」
声はいつもより低く、笑ってもいませんでした。おしぼりを握ったまま、彼を見上げます。
「好きな席でいいって言ったよね」
彼は上着を胸の前で抱え直しました。1年分の「あ、こっちどうぞ」が、頭の中に順番に並んでいきます。
「なんで、いつも私が壁側なの?」
彼は一度目を伏せてから、ゆっくり顔を上げました。
答えは帰り道まで
「ちゃんと話す。でも、帰り道でもいい?」
ここでは言えないことなのだろうか、と思いました。ほかに好きな人がいる、といった話まで頭をよぎり、すぐに打ち消します。席の話から、そんな告白につながるとは思えません。私は立ち上がり、壁側のベンチへ移りました。
通路側に座った彼は、いつもの調子で唐揚げとサラダを頼みました。仕事の愚痴をこぼし、私の取り皿にレモンを添えてくれます。何も変わらない様子に、さっきの低い声がかえって耳に残りました。
グラスの氷が溶けきるまで、箸はほとんど進みませんでした。
そして...
店を出て、駅までの道を並んで歩きました。彼は何度か口を開きかけては、そのまま前を向きます。
横断歩道の手前で信号が赤に変わったとき、彼が立ち止まりました。
「さっきの話だけど」
街灯の下で、彼の横顔を見上げました。「好きな席でいいよ」と言いながら、1年間ずっと私を座らせなかった通路側の席。あの席には、私の知らない何があったのでしょうか。
(20代女性・事務職)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
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