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【エンタ目】三島有紀子監督⑫〝味気ない〟人生だけど 味覚を失い世界を「感じる」

2026年3月5日 11時30分 (3月5日 11時53分更新)

全身でおいしさを味わう私

 味気ない人生、という言葉を、比喩ではなく事実として引き受ける日が来るとは思っていなかった。
 およそ2年前、味覚と嗅覚を失った。世界は以前と同じ形をしているのに、決定的な何かだけが抜け落ちた。湯気は立つが、そこに意味がない。コーヒーは黒いが、朝は始まらない。ラーメンのスープに涙が落ちた。
 日本語は、執拗なほど「味」を人生に重ねてくる。「酸いも甘いもかみ分ける」「サンショウは小粒でもぴりりと辛い」「手塩にかける」。人生の深みや成熟は、いつも味覚に託されてきた。監督作でも、食べる場面は、人物があらわになる瞬間の一つとして撮ってきた。
 ただ、味覚を失ってから、「感じる」ということを、以前より意識するようになった。撮影前になると、頭が異様に回転し考え過ぎて、脳がわあわあする。そんなとき、自分に問い直す。「いま、きちんと感じているか」。映画の現場では、感情を説明する前に、まず体の反応を待つことにしている。お芝居もまた、カットをかける前の沈黙の方が、せりふより雄弁なことが多い。説明が前に出たテイクは、たいてい静かに死んでいくように感じる。
 味覚を失った今、食事も同じだ。視覚、温度、歯応え、舌触り、そして記憶。体の別の回路が、必死に補い合って「おいしさ」を立ち上げる。誰かと食べれば、その人の表情や言葉が、ひと皿の輪郭をつくる。だからなるべく、「おいしいだろう」と思うものを、言葉にしてくれる仲間と食べる。「さあ、どうだ!」と自分の体に向かって少し得意げに語りかける。失ったものがあっても、私は結構しぶとく人生を楽しんでいるのかもしれない。
 最近、塩辛い味がかすかにわかるようになってきた。
 最初に戻ってきた味は、「甘さ」ではなく、「塩辛さ」だった。
 何度も塩をなめた。
 おはよう、人生。(映画監督=次回は4月2日)

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