【エンタ目】三島有紀子監督⑬記録されない感情―「想像」から芸術は始まる―
2026年4月30日 12時21分 (4月30日 12時25分更新)
小学生の頃、仲の良い友達が転校することになった。Mちゃんという女の子だった。道路拡張の工事が決まり、その子の家が立ち退くことになったのだ。
最後に彼女の家に遊びに行ったとき、私はMちゃんへのプレゼントに、ほとんどのおこづかいを使って買った800円のマグカップを握りしめていた。「なんでうちが出ていかなあかんのんかなあ」。理不尽さを口にした彼女の母親に、父親が少しいら立った声で言った。「そんなこと言うな。言うても仕方ないことやろ」。そのときMちゃんは、私を見て、眉を少し下げて笑った。その顔を今もはっきりと覚えている。
最後に彼女の家に遊びに行ったとき、私はMちゃんへのプレゼントに、ほとんどのおこづかいを使って買った800円のマグカップを握りしめていた。「なんでうちが出ていかなあかんのんかなあ」。理不尽さを口にした彼女の母親に、父親が少しいら立った声で言った。「そんなこと言うな。言うても仕方ないことやろ」。そのときMちゃんは、私を見て、眉を少し下げて笑った。その顔を今もはっきりと覚えている。
街は変わる。人は動く。誰かにとって必要な工事だったのだろう。多くの人が便利になったのだろう。けれど、どうしてMちゃんの家が奪われ、転校しなければならなかったのか。彼女の悔しさや悲しさを何日も想像した。なのに、Mちゃんやご家族、私の感情はやがてどこにもなかったかのように消えてしまう。そのことに、腹の底がねじれるような違和感を覚えた。
芸術というのは「想像」から始まる。小説や絵画や映画は、まだ気づいていない自分や自分ではない誰かの感情を想像する旅のようなものだ。そこに生まれた「感情」を作品という形に昇華していく。
先日、国立の博物館や美術館に「収入目標」を設け、達成できなければ再編成するという文化庁の方針が話題になった。仮に「売れる」「分かる」文化だけに向かうことになったら、「(分からないけど)想像する」という感覚は一体どこで育まれるのだろう。
今ではもう、起きたことさえ正しく継承されるとは限らないと感じる。それでも起きたことは事象として説明される。だが感情はほとんど記録されない。
芸術文化とは、やがて消えていく「感情」を記録し、想像へと向かわせる営みなのだと思う。(映画監督=次回は30日)
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