江夏氏が後年暴露…阪神『昭和48年の悲劇』の第2幕“疑惑の中日戦” 勝てば優勝の日になぜ中日キラーは先発しなかったのか
2026年9月7日 10時14分
8月29日に「23」で点灯した藤川阪神の優勝マジックが、「18」(9月7日時点)まで減った。「阪神にすんなりと優勝させてしまっていいのか? 橋上巨人よ、盟主の意地をみせろ!」と心の中で叫ぶ自分がいる。虎ファンの間では優勝決定日を予想して早くも《Vチケット》の争奪戦が始まっているそうな。そんな中、この「虎カルテ」の愛読者の友人からこんな指摘を受けた。
「昭和48(1973)年の悲劇なんて振り返らんといてくださいよ。縁起でもない。優勝マジックが出ても必ず優勝できる―とは決まってへん。ほら2008年には7月22日にマジック46が点灯して優勝でけへんかったでしょ。野球は何が起こるか分からへん。DeNAに連敗したし、巨人は広島に連勝して2・5ゲーム差。言霊っちゅうこともあるんですから…」
いやはやファン心理とはデリケートなものだ。かといって語り始めた《悲劇》を第1幕で終わるわけにはいかない。というわけで第2幕『疑惑の中日戦』の幕を上げよう。
1973(昭和48)年10月10日に首位に立った阪神はついに悲願の優勝へ「王手」をかけた。2位・巨人とは1ゲーム差。20日の中日26回戦(ナゴヤ)に「勝つか引き分け」で1964(昭和39)年以来、9年ぶり7度目の優勝が決まるとあって、スタンドは試合前から大興奮。大阪から駆けつけた虎ファンと中日ファンとの間で乱闘騒ぎまで起きた。
ネット裏では戸沢一隆球団社長がトラ番記者に囲まれて上機嫌だった。
「優勝したら来春はアメリカキャンプをやる予定や」
「きょう優勝を決めたら明日の巨人戦はお客さんが減りますよ?」
「3万や4万の入場料なんかどうでもええ。巨人戦は左うちわで観戦や!」
「きょう優勝を決めたら明日の巨人戦はお客さんが減りますよ?」
「3万や4万の入場料なんかどうでもええ。巨人戦は左うちわで観戦や!」
ところが、先発投手が場内にコールされるや、スタンドに大きなどよめきが起こった。中日の先発はエース星野。これは当然。問題は阪神の先発だった。誰もが中日戦8勝1敗の《中日キラー》上田が登板するものと思っていた。ところがコールされたのは、今季、ナゴヤでまだ勝ち星のない江夏。この試合が『疑惑』と言われる最大の要因である。とはいえ、この時点ではまだ「疑惑」ではなく「疑問」の段階だった。
なぜ、江夏を先発させたのか? 藤村投手コーチは「金田監督と(上田か江夏の)どちらにするか悩んだ末、江夏の勝負強さにかけよう―と結論がでた」と説明した。だがそれは首脳陣の間で周知徹底されていたわけではなかった。試合前のメンバー表交換でベンチを出た岡本打撃コーチが、メンバー表に「投手・江夏」とあるのを見て引き返し、金田監督に「本当にこれでええんですか?」と問い直していたのだ。
「金田監督は『責任はオレがとる』と言ってうなずいた。当時は何の責任を取るのか分からなかった」と後年、岡本氏(故人)は振り返った。
江夏は踏ん張り切れなかった。4回に2-2の同点に追いついたが、その裏、先頭の木俣に左翼へライナーのホームランを打たれ、再びリードを許してしまう。打線も勝たねば…と力むあまりに、甘いボールを見逃し、難しいボールに手を出して5回以降、凡打の山を築いた。終わってみれば、星野に5安打2点に抑えられて痛恨の敗戦。その日のスコアを明記しておこう。
◇10月20日(26回戦、ナゴヤ)
阪神 100 100 000=2
中日 002 100 01×=4
(勝)星野16勝11敗 (敗)江夏24勝13敗
本塁打=木俣⑨(江夏)
阪神 100 100 000=2
中日 002 100 01×=4
(勝)星野16勝11敗 (敗)江夏24勝13敗
本塁打=木俣⑨(江夏)
午後4時、ちょうど阪神が9回の攻撃をしているとき、21日の阪神戦(甲子園)のため、西下する巨人ナインを乗せた新幹線が左翼後方を走り過ぎていった。
「やりにくい試合やった。阪神に勝たせてやりたかったが、ウチもAクラスがかかっていたしな。調子は良くなかったのに、遠井さんはボールを打つし、田淵はいつもならホームランコースのボールを凡打していた。きょうは一番嬉しくない勝利だ」と試合後の星野は不甲斐ない阪神に不機嫌だった。
「やりにくい試合やった。阪神に勝たせてやりたかったが、ウチもAクラスがかかっていたしな。調子は良くなかったのに、遠井さんはボールを打つし、田淵はいつもならホームランコースのボールを凡打していた。きょうは一番嬉しくない勝利だ」と試合後の星野は不甲斐ない阪神に不機嫌だった。
それにしても、なぜ阪神打線はそれほどまでにガチガチに緊張してしまったのだろう。ある阪神OBがこんな話をしてくれた。
「名古屋の宿舎から球場に向かうとき、宿舎の大広間で祝勝会の準備が整えられているのを選手全員が見せられたんだ。広間の中央に小舟のような大きな船盛が飾られ、すっかり準備が出来上がっている。みんな、今日勝たねば、えらいことになる!と思ってしまった。普段はそんな広間を通って行くことはない。選手たちの気持ちを鼓舞するために、首脳陣がわざと準備が出来ているところを見せたんだと思う。でも逆効果だった…」
選手を鼓舞する―といえば、巨人も当初予定していた大阪へ向かう新幹線の便を変更していた。試合の終盤にナゴヤ球場横を通過する東京駅午後2時発の「ひかり351号」にあえて乗車したのだ。ナゴヤ球場を通過するとき、選手たちはグリーン車の左側の窓に寄った。すると誰かが―。
「阪神は負けている。天はわれわれに味方している。明日が決戦だ。勝つぞ!」と声をかけ「おおう!」と気勢を上げたという。まるでテレビドラマだ。
なぜ、江夏が先発したのか―の疑問について、阪神球団発行の球団史『阪神タイガース 昭和のあゆみ』の中でこう記されている。
『昭和48年の対中日26回戦で、この時点で中日に対し8勝1敗と絶対的な自信を抱いていた上田をおいて、江夏に運命を託したのは、上田が風邪気味で体調不十分ということもあった』
上田は数日前から扁桃腺を腫らし、微熱が続いていたのである。だから、江夏がマウンドに上がったのか…。《疑問》は解決したかに思われた。ところが、2001(平成13)年、江夏氏が出した自伝『左腕の誇り』(草思社)の中で《衝撃の事実》が判明した。
江夏選手が中日戦の試合前日に球団事務所に呼ばれ、球団幹部から「勝ってくれるな」と言われた―と暴露したのである。本によれば―
「19日の午前11時に球団事務所に行くと〇△代表と■✖常務が難しい顔をして座っていた。何の用事かと聞くと2人は『あしたの中日戦には勝ってくれるな』という。どういうわけで―と聞くと『優勝したらお金がかかる。それは監督も承知している』という。思わず前のテーブルをひっくり返しましたよ」
だから金田監督は上田ではなく江夏を先発に? それで注文通りに負けた? まさか…。「疑問」が「疑惑」に変わった。あるOBがその「疑惑」についてこう解説した。
「江夏さんはこんなことでウソを言う人じゃない。だから球団の人から『勝ってほしくない』と言われたのは事実だと思うよ」
筆者も同感だった。トラ番記者になったばかりの1980(昭和55)年頃、先輩記者によく言われた。「阪神ちゅう会社はな、巨人と優勝争いして甲子園球場が満員になり、2位で終わるのが一番ええ―と本気で思ってるんや。優勝したらお金がかかる。選手の給料も上げなあかんからな」
当時は先輩の冗談だろうと思っていた。だが、球団の取材を続けていくうちに、実際にそう語るフロントがいた。だが、選手に対してもそんなことを言うとは、信じられなかった。OBは続けた。
「けど、勝ってほしくないと言われて、はいそうですか―と従う江夏さんやない。もちろん金田監督もそんな弱い人間やない。あの中日戦は上層部の鼻をあかしてやろう―とみんなも必死に戦った」
江夏氏も本の中でこう語っている。
「僕は何が何でも中日戦に勝つもりでいた。マウンドに立ったときにはフロントの言ったことなど忘れて、勝ちたい一心で投げた」。そして、上田投手ではなく自分が先発したことについても「あとで中日戦は上田で巨人戦は江夏でいけばよかった―と言う声もあったけれど、それは結果論であって、あと1勝すればいいとなったら、勝ち星の多い方(江夏24勝12敗、上田22勝13敗)から行くのは当然。残念な結果になったけれど、僕は正攻法だったと思う。僕の力が及ばなかったから負けたということです」と締めくくっている。
戸沢球団社長の試合前のあのはしゃぎっぷりから見て、江夏氏の《呼び出し事件》は社長の指示ではなく、電鉄本社上層部から直接命令を受けた球団代表と常務が動いた―とみられ、その命令を電鉄本社の誰が出したのかは依然『疑惑』の中。こうして、金田阪神は「勝った方が優勝」という甲子園球場での巨人との《最終決戦》を迎えるのである。
▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の70歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
関連キーワード
おすすめ情報


