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毎日のように泣く…来日時は“気難しいカリビアン” マルティネスの涙が通算100セーブの笑顔に変わるまで

2023年5月7日 10時51分

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中日―巨人 100セーブを達成し、パネルを掲げるマルティネス

中日―巨人 100セーブを達成し、パネルを掲げるマルティネス

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇6日 中日 2―1 巨人(バンテリン)
 6年前に来日した右腕は、毎日のように泣いていたそうだ。
 「日本になじめなかったんでしょうね。食事は受け付けないし、今では考えられないくらいツンツンしてましたよ」
 球団編成部員で、当時は2軍投手コーチだった朝倉健太さんがしみじみと振り返った。2017年。育成選手として契約したマルティネスは、まだ20歳だった。キューバから日本へ。あるいは本人が望んだ来日ではなかったのかもしれない。食事、言葉、練習の量と内容。全てが嫌だった。
 延々と続くゴロ捕球。何のためにやるのか分からないクイックモーション。当初は先発として期待されたが、次回登板に備えてのブルペン投球ですら「オレには必要ない」と拒んだと言う。手がかかり、気難しいカリビアン。それでも小笠原孝コーチとともに、甘やかさず、根気強く練習を続けさせた。
 サポートしたのは加藤潤通訳。「彼が持つプラスでもありマイナスでもある我の強さ。それを象徴する試合でした」と教えてくれたのは、2軍での来日初登板(5月20日、阪神戦)だった。
 「淡路島での試合だったんですが、ライデルは5回を投げ2本塁打を打たれましたが、ヒットもその2本だけ。しっかりと投げられた試合でしたが、彼は悔しくて泣いていたんです」
 負けん気の強さが成長の根っことなった。朝倉さんが「クローザーになるとは思ってなかったけど、活躍できるとは思ってました」と言う根拠も、そこにあった。名古屋市港区のブラジル雑貨店で、祖国の味に近いマメ料理を食べ、練習法も少しずつ受け入れた。肉体が大きくなり、制球が安定。コーチのアドバイスに従い、フォークを覚えたことで投球の幅は大きく広がった。
 淡路島の球場の裏で泣いた日から6年。通算100セーブ目を締めくくったのは、丸の弱いが不規則な回転のゴロだった。今や無双のクローザーがバント攻めされないのは、泣きながら受けたノックの日々があったからだ。

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