速報
工兵隊が訓練で築いた防御陣地 豊橋市・向山緑地のトーチカ
かつて軍都と呼ばれた豊橋市の中心部、向山緑地にある「向山のトーチカ」。現在は...
8月16日
石川県の遺族を代表、全国戦没者追悼式で献花 ルソン島で義父亡くした七尾の今田さん
全国戦没者追悼式では、石川県の遺族を代表し、七尾市の今田勇雄さん(86)が献花をした...
処罰の覚悟で「全軍特攻」に異を唱え 焼津市の芙蓉部隊指揮官「若者にさせたくなかった」長女が思い推し量る
太平洋戦争末期に旧日本海軍藤枝基地(焼津市)で発足した「芙蓉(ふよう)部隊」は、夜間...
8月15日
「外交官より、いい試合の方が国の関係を良くする」アジア大会まで約1カ月、過去の記憶から平和を考える
日本がまだ連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあった1950年2月、日本スポーツ界は...
「笑顔だった人たちが犠牲に」 現代に語りかける兵士たちの写真450枚、託された写真家の思い
出征前のわが子を囲む家族や、軍服姿で仲間と肩を組む青年たち-。太平洋戦争などに出征し...
街は焼夷弾で焼き尽くされた 岐阜空襲、妻もまた 焦土の少女だった
【連載】ハルピン街と家族 戦争の焼け跡から、街は立ち上がった。かつて全国有数の既製服産...
小学校そばに残る地下工場跡 瀬戸市にあった「愛知航空機瀬戸工場」
隣接する陸上競技場でサッカーの試合が開催されていた。歓声が上がるピッチに背を向けると...
ティモール人はいつも犠牲者だった。支配する国が変わっただけ 「日本はもっと個人や遺族に関心を向けて」
東ティモールの首都ディリの街並みを見下ろす丘に、太平洋戦争の歴史を紹介する記念館が立...
8月14日
外地に生まれ、寂しさを感じた旧満州の記憶 「僕にはお菓子がなかった」
隻腕の売れっ子漫画家「笹山しげる」が語らなかった戦争体験 「俺は地獄へ行く身」演劇で生涯に迫る
手塚治虫さんや水木しげるさんらが活躍した戦後の漫画界で、売れっ子にのし上がっ...
当時の軍事行政を伝えるれんが塀、今も残る戦争の跡 名古屋市中区にあった「第三師団司令部」
戦争の跡を訪ねて 県の調査報告書から 愛知県は3月、旧日本軍施設や軍需工場など、県内に...
命令に従わなかった男は殴り殺された。働き続けるしかなかったー 忘れ得ぬ日本語と東ティモール苦難の歴史
「おはようございます」 東ティモールの首都ディリで暮らすマリアーノ・ソアレス...
8月13日
特攻「1号」の4日前出撃し戦死 愛知ゆかりの中尉親族「語り継ぐ」、直筆はがきなど発見
太平洋戦争で神風特別攻撃(特攻)隊に志願し、23歳で戦死した久納好孚(こうふ...
無我夢中で遺骨を探し集め 滋賀の男性、父戦死の沖縄で「つくづくむなしいと思った」
「あの悲惨さは経験しないとほんまに分からへん」-。日野町山本の奥野義明さん(82)の...
「生きるので精いっぱいでしたから」 岐阜駅前のバラック街、一家の軌跡をたどる
恐怖を感じる時間の長いこと「戦争は人殺しです」 静岡市内の工場に通っていた当時、空襲から避難
45年、17歳だった私は静岡市内の工場に通い、特攻に使ったゼロ戦(零式艦上戦闘機)と...
8月10日
ペリリュー島で戦死した父、戻るわけでもない…諦めも 戦没者遺骨収集「社会的な議論できていない」
【連載】ペリリューの残照 帰らぬ遺骨 (上)進む風化「一柱でも多く迎えたい」 ...
8月9日
進む風化「一柱でも多く迎えたい」 パラオ・ペリリュー島の日本兵遺骨収集に記者同行、手りゅう弾抱えた姿勢の遺骨も
【連載】ペリリューの残照 帰らぬ遺骨 東京から南に3千キロ離れた太平...
8月8日
「泣きながら遺書を…」戦場の女性、過酷な看護 滋賀県東近江市の平和祈念館で企画展「戦時下の看護」
「もう日本へ帰れることはないだろうと告げられ、同僚と泣きながら遺書を書き、遺...
8月6日
米軍の銃撃で40人以上が亡くなった亀山列車銃撃事件、新たに分かった祖父の最期
太平洋戦争末期の1945年8月2日に三重県亀山市内で列車が銃撃され、40人以上が亡く...
8月3日
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