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カズが釜本さんを追悼「カマモトを知っているか?」ペレとの思い出「目標とするには遠すぎる方でした」

[ 2025年8月10日 23:07 ]

02年、日韓親善サッカーフェスティバルのレセプションに出席したカズ(左)と釜本邦茂さん
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 JFLアトレチコ鈴鹿の元日本代表FW三浦知良(58)が10日、68年メキシコ五輪銅メダリストで日本サッカーを代表するストライカーだった釜本邦茂さんの訃報を受け、クラブを通じて追悼のコメントを発表した。

 以下、全文。

 具合が悪いとお聞きしており、ずっと心配していたのですが、訃報に接しまして本当に残念です。

 釜本さんは40歳までプレーされた。あの当時、その年齢までプレーされた選手はほとんどいなかったはずです。ブラジルのサントスの下部組織でプレーしていた40年近く前のこと。コーチからロッカールームに呼ばれると、シャワーを浴び終えたばかりのペレがいました。

 「サントスで頑張っている日本のカズだ」とコーチが引き合わせてくれました。するとペレが言いました。「お前、カマモトを知っているか? 俺の友人なんだ。引退試合にも呼ばれてね。ものすごい太もも、ものすごいシュートを持っている、ものすごいストライカーなんだぞ」。

 日本の選手であることを蔑視されることも多かった時代に、あの「キング・ペレ」がガマさんを「最高のストライカーだ」と語るのを聞いたとき、日本人としてものすごく誇らしかったことを、今でも思い出します。

 国際Aマッチとしての代表チーム同士の対戦が限られていた時代に日本代表で75得点。クラブチームとの対戦でのゴールも含めたら200ゴール近くまで到達していたんじゃないですか。

 ウソか誠か、50年近く前の当時にイングランドのアーセナルからオファーがあったとも聞きました。そのくらいガマさんの名前は世界にとどろいていました。

 どの時代でも、評論家の方々から、日本代表は「釜本のようなセンターフォワードがいればもっと強いのに」と、ことあるごとに言われ続けてきたような気がします。時が流れてもそのすごさは、薄れることなく受け継がれていました。

 僕が34歳のころ、京都サンガでの練習試合を見に来てくださいました。「俺は40歳間近のころは怪我でほとんど試合に出られなかったけれど、カズは40歳までしっかりやりきれよ。もう一回代表にいけ」と叱咤していただきました。58歳までやってしまっていますけれどね。ことあるごとに気にかけてくださって、FWとして点を取る孤独さを理解してくださっているんだなと、勝手に喜んでいました。

 目標とするには遠すぎる方でした。本当にありがとうございました、という感謝の言葉しかありません。心からご冥福をお祈りいたします。三浦知良

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