没後90年 愛され続ける木彫の生命 三重県立美術館で「橋本平八展」
2025年9月18日 10時00分 (9月18日 12時37分更新)
38年の生涯を駆け抜け、日本近代彫刻史にその名を刻んだ橋本平八(1897~1935年)。20代半ばにして東京の彫刻界で才能を認められながら、郷里のある現在の三重県伊勢市に帰り、生命感あふれる木彫で独自の境地を築いた。死後90年がたっても愛される作品の魅力とは? 15年ぶりの回顧展が開催中の三重県立美術館を訪ねた。
充実の出世作
学芸員の高曽由子さん(33)は「ぴんと立った耳、背中の盛り上がった筋肉の立体感」を見どころに挙げる。座った姿勢から首を回し背後に視線を向けるポーズから、一瞬の緊張感がありありと伝わる。
制作の際、あらかじめ粘土で模型を作り、完成形のイメージを練り上げたという。会場にはその時の粘土像から型取りした石こう像が並べて展示されている。首の傾きなどが微妙に異なり、本物に近づくための試行錯誤がうかがえる。
しかし橋本はその後、こうした写実表現とは一線を画すようになる。「猫」発表の翌年に起きた関東大震災を機に東京を離れ、奈良の古寺を巡って飛鳥時代の木彫仏像を鑑賞したことが転機となった。
飛鳥時代の仏像に学ぶ
大正末年発表の女性像「成女身」(26年)にその影響は明らか。胸と背の厚みが薄いところに飛鳥時代の仏像との共通点がある。
西洋美術の影響を受けた当時の彫刻界は量感に富んだ身体表現が主流。橋本の挑戦には当然批判もあったが、千年以上前の古仏をヒントに独自の造形へとまい進した。
高曽さんは「時流に乗るよりも自分の内面を重視し、自然にある命の輝きをどう捉えるかをテーマにしていた」と解説する。独特の表現は死後半世紀ほどたった80年代から再評価の機運が高まったという。
芸術は「その土地の表現」
橋本は29歳で現在の伊勢市朝熊町に帰郷。代表作「花園に遊ぶ天女」(30年)を...
この記事・コンテンツの続きは会員限定です。
紙の新聞の定期購読者の方は、無料で会員登録できます。
- 中日プラスに登録すると
- 中日新聞電子版が利用できる
- 会員向け記事が読み放題
- 各種メールマガジンで最新情報をお届け
※紙の新聞とは、中日新聞朝刊・北陸中日新聞朝刊・日刊県民福井です。
おすすめ情報