【根本 康広 我が道26】3番目の弟子・野中悠太郎へ もっと“オーラ”を 後天的にも身につくもの

[ 2026年10月27日 07:00 ]

弟子の野中がJRA通算100勝を達成、プラカードを持つのは兄弟子の丸山(24年1月)
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 3人目の弟子は野中悠太郎です。私と同じで競馬サークルとは無縁の出自でした。お父さんは一般企業に勤められていましたね。小倉競馬場で乗馬をしていて、騎手の道を目指しました。

 競馬学校から所属のお願いが来た時に、私は「うちでいいの?」と聞き返しました。申し訳ないけど、毎年重賞をバンバン勝てるような厩舎じゃないから。これは元気(丸山)や菜七子(藤田)にも直接、話していたことです。私は師匠にダービー馬(メリーナイス)を用意してもらったけど、弟子たちにはできなかった。そこは申し訳ないと思っています。

 ただ、競馬サークルの出自じゃないというハンデはありません。悠太郎も最初から標準以上の技術はありました。私と性格の似ている元気とは正反対の真面目な性格。アイルランドに半年以上、武者修行に行った時期もありました。向こうでは厩舎仕事などをこなして微々たるお給料は出るでしょうけど、基本的には自費ですからね。見識が深まったでしょう。元気に「お前は海外に行かないのか?」と聞いたら「僕は大丈夫です!」と言い切りました。2人の性格を足して2で割ればちょうどいいんでしょうけど…(笑い)。

 余談になりますが、実は私も30歳くらいの頃に海外研修でフランス、英国を回り、アイルランドで実務をこなした経験があります。名調教師ビンセント・オブライエンの元でお世話になりました。日本競馬が今みたいに認められている時代じゃありません。現地の人間に「日本はどれくらい馬券が売れるんだ?」と聞かれ、目の前にあった紅茶を指に浸してナプキンに3から始まり、0をいくつも書き足しました。3兆円です。「うそつくんじゃねえ!」と信じてもらえませんでしたね。レースにも乗せてもらい、知られていませんが日本人で初めてシェイク・モハメドの勝負服を着たのは私なんですよ。武豊くんより先なんです。

 話を戻しますが、悠太郎にはもっと“オーラ”を出せるようになればいいという話をしています。その場に登場するだけで自然とみんなが目をやり、雰囲気を支配しちゃう人っているじゃないですか。勝負事を生業(なりわい)にするならそういうオーラって大切なんですよ。横山武史くんや坂井瑠星くんみたいに生まれ持った人もいるけど、後天的にも身につくものだと思っています。

 もっとレース中に柔軟な判断ができればいいとは思いますが、理詰めできちんと物事を考えられる人間。それがズバッとハマるレースもあります。ゆくゆくは調教師という仕事も向いていると思いますね。ただ、ジョッキーとしてはまだまだ若いし、大きいところを勝ってほしい。ありがたいことに西山茂行オーナーにも目をかけてもらっている。そういうご縁を大切にしながら頑張ってほしい。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

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