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「投手転向は転機でなく挫折」愛大4年の秋に岩瀬が悟った“天命” 届かなかったあと一本が殿堂入りへの第一歩に

2025年1月20日 10時19分

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龍の背に乗って・特別版~岩瀬仁紀 殿堂入りへの軌跡(上)
 元中日の岩瀬仁紀さん(50)が野球殿堂入りを果たした。大学、社会人を経由した遅いプロ入りながら史上最多の1002試合登板、407セーブを挙げた鉄腕。しかし、その野球人生は決して順風ばかりではなかった。「挫折」「原点」「苦投」。殿堂への軌跡を3回連載で振り返る。
 1996年秋、岩瀬は投手になった。つまり、それまでは野手だった。

愛知大学時代の岩瀬さん


 「二刀流なんて言葉はなかったけど、大学時代の僕は野手。自分が投手だなんて思ってなかった。外野手としてプロを目指していたし」
 甲子園とは無縁の西尾東高から愛大に進み、得意の打撃が開花した。投手不足のチーム事情ゆえに投げてはいたが、明らかに軸足は野手にあった。4年秋のリーグ戦。大学ラストゲームで、本塁打を打った。通算124安打。あと1本でリーグ記録に並ぶ。9回1死満塁。ネクストバッターズサークルで「絶対に打つ自信があった」と回顧するが、目の前の打者が併殺で試合は終わった。ここが岐路だった。多くの人は社会人で打撃を磨き「あと1本」が打てる打者になろうとする。しかし、岩瀬は違った。
 「打者としてプロに行くなら、これをやったっていう証しのようなものが欲しかった。それが記録だった。これをやれないようじゃ、プロでもできないな。そう思ったから、打者をあきらめて投手に専念することにしたんです」
 力んで凡打したわけでも緊張してバットが振れなかったのでもない。打席が回ってこなかったことも天命と受け止め、その日を境に岩瀬は「投手」になった。
 「野手の力量はわかったけど、投手としては未知だった。それを極めたらどうなるんだろうと思った。でも僕にとって投手になったことは転機ではない。屈辱であり、挫折。悔しさしかなかったんです」
 もしあの試合であと1本打っていたら…。最後まで指名リストに入れていた球団は多く、その後も打者として歩んでいた可能性は高い。22歳秋の決断が殿堂入りへの第一歩だったのだ。
 「プロが野手での指名を考えていたなんて、後から知りましたから。それなら早く言ってほしかった(笑)。社会人も野手で誘ってくれたところはいくつかあったけど、投手でと言ってくれたのはNTT東海だけ。それは決め手になりました」

NTT東海時代の岩瀬


 投手を選んだ岩瀬と、投手として勧誘した唯一のチーム。人生には分かれ道がある。「でも選択はいつだってひとつ。2人いたら…はないんです」。選んだ道が正解だったと知るのは、岩瀬自身ももう少し先のことである。=敬称略

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