芝居小屋から映画館へ、「青い山脈」ロケ誘致も 中津川の映画文化築いた篠田一族
2025年4月19日 05時05分 (4月19日 14時52分更新)
【連載】スクリーン復活 東濃映画館ものがたり
21年ぶりに、東濃地方に映画館が戻ってくる。土岐市のイオンモール土岐に18日、コンパクト型シネマコンプレックス「イオンシネマ土岐」がオープンする。かつて、東濃5市(多治見、土岐、瑞浪、恵那、中津川)にはいずれも映画館があり、映画文化が花開いていた。スクリーン復活に合わせて、その歴史と物語をひもとく。 (全3回)
(上)東濃にスクリーンが戻って来る! かつては隆盛の映画文化、その歴史をひも解くと…
(中)映画を楽しんだ記憶、今も鮮明に 復活したスクリーンは孫とともに
(下)芝居小屋から映画館へ、「青い山脈」ロケ誘致も 中津川の映画文化築いた篠田一族(この記事)
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中津川市中心部でひときわ高い11階建てマンションの片隅に、「旭座跡」と刻まれた石碑が立っている。1950~60年代に娯楽を求めて大勢の市民が詰めかけた「旭映画劇場」の跡地だ。戦後の中津川駅前には四つの映画館がひしめいており、このうち同館と「東映劇場」「グリーン劇場」の3館を「篠田興行」という地元企業が一手に経営していた。
旭映画劇場は、1840(天保11)年創業の芝居小屋「旭座」に起源を持つ。江戸時代の歌舞伎に始まり、明治以降は演劇や演芸などさまざまな催し物が繰り広げられた。親族から経営を継いだ篠田初太郎さん(2007年に99歳で死去)が桟敷席をイス席に替え、1950年代初頭に映画館として再出発。篠田さんは配給会社の東宝に働きかけ、57年公開の映画「青い山脈」のロケを中津川に誘致した功績者とされる。
「改装前の旭座で花道を走り回った記憶がある」と話すのは、自動車部品製造会社会長の可児力さん(79)=同市。母が篠田さんの妹で、父は篠田興行の役員だった。改装後の旭映画劇場では、看板書きが住み込みで働き、無声映画に声を付ける活弁士がすぐ隣に住んでいた。「一つのファミリーのようだった」と振り返る。
可児さんの父は、...
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