【写真・動画特集】戦後81年、消えゆく記憶を未来へ 愛知県・名古屋周辺に残る「戦争遺跡」が語る平和の重み
2026年7月8日 13時23分 (7月8日 13時24分更新)
戦後81年。戦争体験者が減る中で、当時の惨禍や営みを無言で伝える「戦争遺跡」の重要性が増している。
愛知県が県内の遺構をまとめた「愛知県戦争遺跡調査報告書」と「愛知県戦争遺跡マップ」を刊行したのを受け、そこから県内の遺跡を取り上げた。
各地に、空襲の炎を耐えた樹木や爆弾の破片が貫通した鐘、当時の姿を残す灯台、防空壕、鉄橋、兵士の面影を宿す像などがひっそりとたたずんでいる。これらは公的調査で価値が再認識された一方で、風化や管理の危機にも直面している。遺構がまとう歴史の傷痕からその記憶をたどり、平和の重みを未来へつなぐ一歩にしてゆきたい。
中之院の軍人像
慰霊のために作られたコンクリート製で表情はリアルでだが、屋根がなく長年の風雨の影響で傷みが激しい。像の一部は、顔の大半をこけが覆う。戦後81年を迎え、管理の苦慮と風化がにじみ出る
西尾市の壕
西尾市小間町にある防空壕。明治海軍航空隊のレーダー基地として、三河湾側から侵入する敵機を監視する役割を担った。管理する自営業の杉本巌さんは「自分が4つの時、兵隊さんとここで会いました。私も85歳、当時のことを話せたら」と見学に来る人たちに伝える。自由見学可。
名古屋市港区の10号地灯台
1939年に建設された「10号地灯台」。軍需産業の拠点となった名古屋港は米軍の激しい空爆を受け、灯台も損傷して使用不能になった。鉄筋がむき出しになり、頂上部の鉄柵や避雷針も当時のまま残る。立ち入り制限区域で一般見学はできないが、遊覧船から見られるほか、年に数回名古屋港管理組合が見学ツアーを実施している 。
春日井市の名古屋陸軍造兵廠鷹来(たかぎ)製造所西山分廠への引込み線の橋梁
春日井市桃山町に戦時中に敷設された軍事貨物専用引き込み線の鉄橋。風船爆弾などを製造した。「名古屋陸軍造兵廠(しょう)鷹来製造所」と、火薬などを製造した「西山分廠」を結ぶために敷かれた。
名古屋城正門にあるカヤの木
名古屋城正門近くにある樹齢600年と推定されるカヤの木。名古屋大空襲で幹の大部分が焼ける大きな被害を受けたが、その後の手当で芽吹いた。
名古屋市東区の養念寺の被弾した鐘
養念寺にある法要や儀式の開始を知らせる鐘。少年工の宿舎になっていたが、空襲で多数が亡くなった。爆弾の破片が当たり貫通したという。管理する坊守の冨永茂子さんは「鐘は平和を願い作られました。その傷跡はいまだに戦争の悲惨さを語っています」見学の際は、寺に連絡を。
写真・文 黒田淳一
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