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【井原正巳 我が道1】校内マラソン大会は6連覇 柔道教室に1年間通うも好きになれず

[ 2025年7月1日 07:00 ]

生後半年くらいか。顔も目も真ん丸です
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 私が生まれたのは1967年(昭42)9月18日、滋賀県南部の甲賀こうか)郡水口(みなくち)町で、2004年(平16)に近隣の5町が合併して甲賀市になった。山に囲まれ、水田や畑が広がる自然豊かでのどかな地域だ。江戸時代は近江国といわれ、東海道の宿場町、水口宿として栄えた。水口城跡や水口神社が知られている。甲賀は三重県の伊賀とともに忍者の里としても知られ、「忍者屋敷」がある。隣接する信楽(しがらき)町は信楽焼で知られていて、小学生の時に社会科見学で、焼き物を作る体験をした記憶がある。

 実家は明治時代から水田で米を作っていて、長男の父・春雄が跡を継いでいた。1934年(昭9)生まれの父は、土木関係の会社に勤めながら、祖父母と米作りもする兼業農家だった。母・とみ子は36年生まれ、きょうだいは6歳上の長兄・良一、3歳上の次兄・靖和と、男ばかり3人。私が生まれた頃は、父の弟と妹も同居し、3世代9人の大家族でにぎやかだった。

 庭に畑があり、キャベツ、タマネギ、トマト、キュウリなどの野菜やメロン、イチゴ、スイカ、柿などの果物を栽培していた。これは家で食べるためのものだった。近所の子と駆けっこや木登りなどをしたが、自宅の庭や水田でも遊べて、遊び場には不自由しなかった。

 貴生川(きぶかわ)幼稚園に3年間通った後、74年に飯道山の麓にある水口町立(現甲賀市立)貴生川小学校に入学した。1学年2クラスの小さな学校だったが、この地域は甲賀高校(現水口高校)や貴生川中学校(現水口中学校)が全国大会に出場する強豪で、サッカーが盛んだった。貴生川小学校も、遊びといえばサッカーで、昼休みになると、みんなで校庭でボールを蹴った。こういう時に、上級生が下級生に蹴り方などを教えてくれるいい伝統があった。

 小学校には貴生川サッカー少年団があったが、4年生からしか入団できない。そこで、「何か体を鍛えられることを」と考えた両親の薦めで、2年生から柔道教室と習字を習い始めた。柔道は週に1度だったが、最初から「自分には合わない」と思っていた。道場は暖房がなく、冬の寒い日でも畳の上で稽古する。しかもはだしで。畳の上で受け身を取るのも、畳の上を走るのも嫌だった。きゃしゃで、腕っぷしも強くなかったので、「早くやめたい」と思っていた。それでも1年間通い、4級までいった。

 柔道や書道がない日は貴生川サッカー少年団の練習を見学しに行った。次兄が4年生から入団し、本格的にサッカーを始めており、私も早く少年団に入りたかった。この頃から走ることは得意で、特に長距離は自信があり、校内マラソン大会は1年生から6年生まで毎年1位だった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原のコーチに就任。

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