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田尾安志、大洋の四球攻めに抗議の空振り 1982年竜V決定のかかった最終戦にあったもうひとつの”首位争い”

2026年5月26日 05時45分

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5打席目の田尾は大洋バッテリーが大きく外した5球目を空振り=1982年10月18日、横浜で


◆中日球団創設90周年企画「V この男あり」第6回
 1982年10月18日。中日は130試合目のシーズン最終戦となった大洋戦(横浜)に勝ち、8年ぶりのリーグ優勝を決めた。その裏で、もう一つの“首位争い”が議論を呼んでいた。大洋は中日の1番・田尾安志(72)に5連続四球。その結果、大洋の長崎啓二が1厘差で首位打者を獲得したのだ。今回の球団創設90周年企画「V この男あり」は“幻の首位打者”田尾にスポットライトを当てる。(文中敬称略)
◆「みんな、おまえが首位打者だと分かっている」
 ボールにもタイトルにも届かないことは分かっていながら、田尾は大きく外れるボール球にバットを振った。勝てば優勝、負ければV逸。そんな大一番で、中日が大量8点をリードして迎えた8回表の攻撃でのことだ。
 1打席目から4打席連続四球で歩き、この打席も3ボール。ここまでひたすらボール球を見逃してきた田尾が、捕手が立って構える敬遠球に初めてスイングを仕掛けたのが、この試合の20球目。さらに次の1球にも…。
 慌てて駆け付けた三塁ベースコーチの黒江透修に「お客さんが騒ぐから振るな。みんな、おまえが首位打者だと分かっている」と諭され、この試合5つ目の四球を選んだ。渋々一塁に歩いた田尾は今、「最後は三振で終わろうと思っていた」と44年前を振り返る。
 優勝の行方同様、首位打者争いもこの一戦にかかっていた。トップの長崎を、田尾が前日までの2試合で8打数6安打と猛追。ついに1打数1安打で逆転するところまで迫っていた。長崎は16日の3連戦初戦に代打で出場しただけで高みの見物。最終戦では大洋が田尾との勝負を避け、長崎の首位打者をサポートするのでは…との見方は試合前からあった。
 記録上の「故意四球」は3打席目と、この5打席目の2つ。ただ、バットが届く球は1球もなかった。「最初にボールが続いたところで『勝負してもらえないな』と思った」と田尾は言う。同時に「これで優勝できる」とも…。敵の1番打者を無条件で歩かせる大洋の「長崎援護」は、一方で中日の優勝を“後押し”することになる。それに対する抗議とざんげの思いが、田尾の空振りには込められていた。
◆「最高の真剣勝負をお見せしたかった」
 「130試合目でウチが勝てば優勝。負ければ巨人。こんな試合はそうないですよ。日本中が注目している。その中に首位打者争いもある。個人タイトルなんて二の次。最高の真剣勝負をお見せしたかったのに、それができなかった。プロとしてファンに申し訳ないという気持ちだった」
 このシーズン以降、首位打者ではなく「打率でトップに立ち、抜かれても最後まで出続けること」をひそかな個人目標に置いた。「できなかったですけどね」と苦笑いする田尾には、西武との日本シリーズも忘れられない思い出となっている。

西武との日本シリーズ第5戦、「石ころ事件」で三塁に戻れずタッチアウトになった田尾=1982年10月28日、西武球場で

 10月28日の第5戦。0―0の3回表、2死二塁で平野謙が一塁線を破る痛烈な当たり。ところが右翼線を転々としているはずの白球は一塁塁審の脚に当たり、二塁手の前へ。三塁を大きく回っていた二走の田尾が戻れず、先制点は幻となった。
 「完全に抜けたと思って走っていた。あの試合を勝っていれば3連勝でナゴヤ球場。流れ的にもウチだったんだけどね」。日本シリーズ史上に残る『石ころ事件』で接戦を落とすと、第6戦にも敗れ日本一を逃した。
 その後、85年に移籍した西武で連覇も日本一も経験した田尾だが、それでも82年の優勝は「やっぱり違う」と言う。
◆野武士野球「あの頃のドラゴンズが一番、ドラゴンズらしいチームだった」
 「当時のメンバーと話すんですよ。『あの頃のドラゴンズが一番、ドラゴンズらしいチームだったよな』と。選手も個性があったし、それを発揮できる環境もあった。近藤さん(貞雄監督)が野武士野球を掲げて、伸び伸びとやらせてくれた」
 リーグ優勝を決めた最終戦。試合前の選手ロッカーには「景気づけに」とビールが並んでいた。さすがに最初から口をつける者はいなかったが、3回に一挙4点が入ったあたりから前日登板した三沢淳、堂上照らが栓を抜き始め、8点差がついた7回には空きビンが転がっていたという。これもまた、何とも野武士軍団らしいエピソードではないか―。(館林誠)

「プロ野球ニュースが選んだMVP」のトロフィーを手にする田尾

「プロが選んだMVP。連盟のにも負けない価値がある」

 田尾が「お宝」として紹介したのは「MVP賞」の刻印があるトロフィー。首位打者こそ1厘差で逃した田尾だが、最終戦での5四球で掛布雅之(阪神)に並ぶ232出塁となり、最多出塁数のタイトルを獲得。併せて外野手部門でベストナインにも選出された。
 もっとも、この年のMVPは2年目捕手の中尾孝義。実はこちらは、「プロ野球ニュースが選ぶMVP」。連盟表彰のMVPがプロ野球担当歴5年以上の記者投票によって決まるのに対し、当時の人気番組「プロ野球ニュース」(フジテレビ)の解説陣によって選出されるのが、この賞だった。
 「プロが選ぶ賞ですからね。ある意味、連盟のMVPに負けない価値があると思っています」と田尾。引退後は自身もフジテレビの解説陣に加わり、同局の解説を務めていた82年の大洋の監督、関根潤三とも度々共演した。
 「関根さんから『あの時は…』という話はあった。関根さんは関根さんで大変だったんだろうなと思う」と田尾。当時は5連続敬遠に対し「敗退行為ではないのか」とセ・リーグ連盟、大洋球団に抗議が殺到。関根も後に「夢に見て、目を覚ますことがあった」と話している。

75年ドラフト1位、新人王、最多出塁数


 
 ▼田尾安志(たお・やすし) 1954年1月8日生まれ。大阪市出身。泉尾高から同大を経て75年のドラフト1位で中日入団。85年に西武、87年に阪神に移籍。91年に引退し、2005年に楽天の初代監督を務めた。通算1560安打、149本塁打、574打点、58盗塁、打率2割8分8厘。76年に新人王、82年に最多出塁数のタイトルを獲得。
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