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浅尾拓也、MVPを受賞した2011年よりも誇りを持つ2010年 責任感と気配りが鉄壁の“8回の男”の強さの源

2026年10月27日 05時45分

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「一番思うような投球ができた年だった」と本人が語った2010年の浅尾拓也


◆中日球団創設90周年企画「V この男あり」第16回
 球団創設90周年を記念し、優勝に貢献した名選手を取り上げる企画「V この男あり」。2010年の中日には鉄壁の“8回の男”がいた。浅尾拓也(42)。権藤博の球団記録を更新する72試合に登板し、ホールドの日本記録も更新するなど投げまくった。ロッテとの日本シリーズでも、連投、イニングまたぎと奮闘。最後は力尽き、マウンドでうなだれる姿が、またファンの胸を打った。

2010年11月7日の日本シリーズ第7戦・中日―ロッテの延長12回表2死二塁、岡田に決勝打を打たれ、打球の行方を見つめる浅尾=ナゴヤドームで

第7戦の延長12回「まさかあそこまで飛ばされるとは」

 美しい敗者が、そこにいた。2010年11月7日。ロッテとの日本シリーズ第7戦(ナゴヤドーム)は延長12回に入っていた。マウンドには4イニング目に突入していた浅尾。2死二塁から、伏兵・岡田の打球が前進守備をとっていた中堅手の大島の頭上を越えていった。当事者は回顧する。
 「3ボール1ストライクでした。絶対真っすぐを狙ってくるところで、真っすぐを。まさかあそこまで飛ばされるとは思わなかった」
 その日の朝、浅尾は高熱を発していた。連投も回またぎも当たり前。体は確実に悲鳴を上げていた。だが、浅尾は体調不良を周囲には隠し「期待に応えたい」の一心で第7戦もマウンドに向かった。最後、がっくりと肩を落とした背番号41。岡田の適時三塁打が決勝点となり日本シリーズ敗退が決まった。試合後、落合監督は「浅尾? 誰も責めないよ。責めるつもりもない」と語った。

2010年の中日を支えたバッテリー。左から吉見一起、岩瀬仁紀、浅尾拓也、高橋聡文、谷繁元信

最大8ゲーム差を逆転してのリーグ優勝を支えた”鬼神”

 シーズンでは最大8ゲーム差を逆転しての優勝。原動力は高橋、浅尾、岩瀬の勝利の方程式だった。特にリリーフに本格転向した浅尾は鬼神のように投げまくった。「とにかく毎日必死だった。連投とか、疲れとか、気にする余裕もなかった」。細身の体を目いっぱい使った野性味あふれる投球フォームから、150キロ台の快速球とフォークで相手をなで切りにする。その姿にファンは喝采を送った。
 登板数、ホールド数―、浅尾は記録ずくめの一年を送った。ただ、本人はそれらに関心を示さない。今も誇りを持っている数字は別にある。「確か2010年は、イニング途中からの出番だったときに、前の投手が出した走者を一人もかえしていないはずなんです」。
 記憶は正確だ。全72試合の登板のうち走者がいる場面では14試合。浅尾は一度も走者をかえしていない。ちなみに、MVPを受賞した翌11年は同様の登板が21試合あり、7度も走者の生還を許している。記録上は前の投手の失点となり、防御率も悪化する。
 「11年は自分の防御率(0・41)の割に罪悪感があったんです。そういう意味でも10年の方が内容が良かった。一番思うような投球ができた年だった」。この言葉ににじみ出る責任感、気配りも、セットアッパー浅尾の強さの源だった。

右肩故障の後悔 「肩を休める」ことにとらわれていた

 選手生活の後半は右肩痛に悩まされた。「どこからどう投げても痛い。20メートル投げるのもきつかった」。10、11年に放った輝きが強烈だったからこそ、人は故障を惜しむ。無理がたたったのでは―と何度も質問を投げかけられた。浅尾の答えは決まっている。
 「必要とされるように活躍することしか考えていなかった。自分がいくべき場面で投げられなかったとしたら、その方が悔しい」
 反省があるとしたら、オフの過ごし方。「休ませることばかり考えてピシャッとやめちゃったんですよ。立ち上げるときも一気にストーンと上げる。あれが良くなかった」と振り返る。近年はオフでも何かしらのトレーニングを継続することが当たり前。ただ、15年ほど前の浅尾は文字通り「肩を休める」ことにとらわれていた。
 「でもね」と続けた。「元々一年でも長くというタイプでもなかったんですよ」とサラリと語った。10年の幕切れが象徴的。浅尾にまつわる鮮やかな光と影のコントラストが、その存在を今も特別にしている。

2010年の最優秀中継ぎ投手のトロフィーと、当時のユニホーム

最優秀中継ぎ投手「毎回怖かった。いつも手が震えていた」【お宝拝見】

 浅尾は2010年に59ホールドポイント(HP、47ホールド、12救援勝利)で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。自宅では、当時のユニホームとトロフィーを大切に保管している。
 59HPは現在でも歴代最多。この年の浅尾は大事な場面で無双し続けた。「毎回怖かったですよ。マウンドに向かう前にブルペンで力水を飲むとき、いつも手が震えていた」。実は極限の重圧と戦っていた。
 ただ、マウンドではそれをおくびにも出さなかった。「僕はいい意味でマイナス思考なんです。常に最悪の状況を頭に置いていたので、ランナーを出しても動揺することはなかった」。クールに打者を片付ける姿からは、風格すら漂っていた。

救援投手としては史上初となるゴールデン・グラブ賞を受賞

 ▼浅尾拓也(あさお・たくや)1984年10月22日生まれ、愛知県知多市出身。投手。右投げ右打ち。常滑北高、日本福祉大を経て2007年に大学生・社会人ドラフト3巡目で中日入り。08年、44試合に登板して頭角を現し、09年は開幕投手を務めた。10年はセットアッパーに定着し、藤川球児の記録を更新する21試合連続ホールドポイントなどを達成。翌11年も79試合に投げて防御率0・41と大活躍し、2年連続となる最優秀中継ぎ投手のタイトルに加え、MVP、先発登板が一度もない投手としては史上初となるゴールデン・グラブ賞を受賞した。18年限りで現役を退いた後、今季までコーチを務めた。
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