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山本昌、潮時を感じ始めていた39歳が”虎キラー”で再生 「多少の黒星ではびくともしない」新首脳陣の信頼が支えに

2026年8月11日 05時45分

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2004年4月21日、2年半ぶりに完封勝利した山本昌=ナゴヤドームで


◆中日球団創設90周年企画「V この男あり」第11回
 球団創設90周年を記念し、優勝に貢献した名選手を取り上げる企画「V この男あり」。就任1年目の落合博満監督の下で快進撃した2004年、13勝を挙げて優勝に貢献したのが山本昌(61)だ。02、03年は2桁勝利をクリアできず、「引退」もちらつく中で迎えたシーズンだったが、新首脳陣の信頼を力に再生した。(文中敬称略)

「ターニングポイントの年だった」2004年

 現役を引退したのが2015年。50歳まで投げ続けた山本昌が「ターニングポイントの年だった」としみじみと振り返るのが、引退からさかのぼること10年以上前の2004年だ。2桁勝利は当たり前だった左腕も、02年は7勝、03年は9勝止まり。「ちょっと悪かったら2軍に落とされたりということもあって、そろそろ引退かなというのがあった」。キャリアの潮時を感じ始めていた。
 スタートは半信半疑だった。「落合監督が『補強はいらない』とぶち上げたでしょ。正直『ほんとかよ。それで優勝できるのか?』と思いました」と明かす。ただ、2月のキャンプでベテランは変化を実感する。「走る量が明らかに増えた。僕も何とかそれをやり切ろうと思った。きつかったですけどね」。不惑を控えた体に、もう一度むちを入れた。

「僕の経験を大事にしてくれて、しっかり任せてくれた」森繁和投手コーチ

 オレ流キャンプの効果もあってか、開幕後は順調に白星を重ねていく。落合監督と同時に就任した森繁和投手コーチの存在も大きかった。「森さんは僕の経験を大事にしてくれて、しっかり任せてくれた」と山本昌はいう。
 例えば打ち込まれた翌日。「以前は罪悪感を持って球場に来て、どよーんとした雰囲気になっていたけど、森さんは打たれても普通に接してくれる。打たれようが打たれまいが、投げた次の日に『次はここな』って。それがありがたかった」。多少の黒星ではびくともしない。その信頼を意気に感じた。
 “虎キラー”への転身も復活を後押しした。このシーズン、山本昌は24試合に先発。そのうち9試合が阪神戦だった。当時の阪神は前年の03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たし、主力には金本、今岡、赤星、桧山ら脂の乗った打者がそろっていた。
 「そもそも90年代は阪神戦にあまり投げさせてもらえなかった。強い巨人、ヤクルト、それに広島、この3チームを中心に投げていた。この頃から、阪神に投げるのが普通になった。『阪神キラー』なんて呼ばれるようになった」と回顧する。

浜風を味方に「甲子園だと左のインコースをがんがん攻めることができた」

 ベテランは虎を圧倒した。「阪神は左が主軸だった。僕は左の方が被打率が低いので投げやすかったという面はある。それに、甲子園だと左のインコースをがんがん攻めることができた」。浜風の影響で左打者に不利とされる甲子園を、完全に味方に付けていた。
 4月21日の完封を皮切りに、このシーズンは難敵から実に7勝を稼ぎ出した。「僕自身より、監督、コーチに『僕を阪神戦に』という思いがあったかもしれない。それがいい方にいった」。

2006年9月16日、阪神戦でノーヒットノーランを達成し喜ぶ山本昌(中)=ナゴヤドームで

 虎に対する強さはキャリア後期の山本昌の武器であり続けた。次に優勝する06年、史上最年長の41歳でノーヒットノーランを達成したときの相手も阪神。「あのシーズンの対阪神は無双状態でしたね」と誇らしげに語った。
 新首脳陣のアシストと虎たたきで、「ターニングポイント」にあった野球人生を再生させた04年。「気分よく野球をやらせてもらって、そうしたら優勝しちゃったという年。落合さんも選手と一緒に笑い合うような雰囲気で、一体感があった」。独走優勝したチームの強さが、この言葉に表れている。

記憶に残る1球「昌さん、あんなのはアウトコースに投げておけばよかったのに」

 〇…山本昌には2004年、鮮烈に記憶に残っている「1球」がある。西武との日本シリーズ第6戦。3勝2敗と先に王手をかけて臨んだ本拠地ナゴヤドームでの一戦で、先発した左腕は2―1の6回、和田に逆転2ランを浴びている。
 「アウトコースをファウルで粘られて、最後インコースのスライダーを打たれた。完全に裏をかいたと思ったんだけどね」。この被弾が命取りとなって第6戦を落とし、3勝3敗で迎えた第7戦は完敗。中日は50年ぶりの日本一を逃した。
 和田は08年に中日へFAで移籍。山本昌は2人でこのシーンを回想したという。「『昌さん、あんなのはアウトコースに投げておけばよかったのに』と言われたよ」と笑った。

2004年10月24日、日本シリーズ第6戦、西武・和田(左)に2点本塁打を打たれぼう然とする山本昌=ナゴヤドームで

史上最年長ノーヒットノーラン 最多勝3回

 ▼山本昌(やまもと・まさ)1965年8月11日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。投手。左投げ左打ち。神奈川・日大藤沢高からドラフト5位で84年に中日入り。88年に米国留学を経て夏場以降に1軍定着。90年代は今中慎二とともにダブルエースとして君臨し、2006年にノーヒットノーランを記録するなど40代でも活躍した。通算581試合に登板し、219勝165敗5セーブ。防御率3・45。主なタイトルは最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、沢村賞(94年)。
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