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和田一浩、38歳キャリアハイで手にした2010年MVP!落合監督からのアドバイス、谷繁元信の体のケア…結実のグラウンド内外での意識改革

2026年10月14日 05時45分

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中日-広島 5回裏1死、左中間にソロを放つ和田=2010年3月26日


◆中日球団創設90周年企画「V この男あり」第15回
 球団創設90周年を記念して、優勝に貢献した名選手を取り上げる企画「V この男あり」。落合体制の成熟期、2010年の中日打線を引っ張ったのが和田一浩(54)だ。打率3割3分9厘、37本塁打、93打点でMVP。08年の中日移籍後に落合博満監督から打撃改造の必要性を説かれるなどしたベテランは変化をいとわず、38歳での”キャリアハイ”につなげた。 (文中敬称略)
 広いナゴヤドームも年齢も、2010年の和田には関係なかった。3月26日、広島との開幕戦の5回、前田健太のスライダーをかち上げた瞬間、本拠地が沸き上がった。
 「そう、左中間でしたね。覚えていますよ。スライダーがすごくいい投手なのでそれを待つのか、ストレート系を待つのか。甘いカウント球を打つしかなかった」。通算打率2割3分5厘と手を焼いた右腕からの開幕弾をきっかけに、背番号5は加速していった。
 中日加入から3年目、和田は変身を遂げていた。きっかけの一つは、移籍後に落合監督から受けたアドバイス。「打撃をもっとシンプルにしていかないとダメだ」。首位打者を獲得するなどすでに実績十分のベテランに「『変えろ』という人はそこまでいなかった」と振り返る。3度の三冠王を誇る落合監督の視点が和田には新鮮だった。
 本塁打数の減少も打撃改造を後押しした。「06年から3年連続で10本台しか打てなかった。これじゃあ駄目だという思いがあった」。極端なオープンスタンスをやめ、高く上げていた左足の動きも抑えた。一朝一夕にはいかない大改造に根気強く取り組んだ。09年ごろにはバットも長くした。「遠くへ飛ばしたい」と思って従来の34インチから34・5インチ(87・6センチ)へ。わずか1センチの違いを突き詰めた。

ベンチの中で落合監督から指導を受ける和田(右)=2010年2月3日

 肉体的に見れば、とうにピークを過ぎていたはず。それでも、和田は現状維持よりも進化を追い求めた。チームリーダーの立浪和義から「何でもかんでもホームランじゃなくて、状況状況でもっと頭を使って打席に立ったら、さらにいい数字が出る」と諭されると、トレードマークのフルスイングを脇に置いてでも、チームに貢献するすべを考えた。
 後に出場試合数のプロ野球記録を更新する谷繁元信が試合後の体のケアに注力している姿を目にすると、和田もそれに倣った。「それまでは結構適当だった。谷繁さんの影響を受けて、試合が終わってから翌日の試合でいかにベストな状態をつくれるかというのを念頭に置くようになった」。打撃フォームの変更やグラウンド内外での意識改革―。全てが結実したのが10年だった。
 シーズン途中からは不振のブランコに代わって4番も任され、打撃3部門でチームトップの数字を残した。クライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージでは巨人との第4戦でサヨナラ打を放ち、2勝4敗1分けで敗れたロッテとの日本シリーズでも打率4割1分4厘。最後まで打ちまくった。
 「ドラゴンズに来て、年齢が上の人が何人もいたことが大きかった。その人たちの姿を見て、もっとやらなきゃいけないと思えた」と言う。一流と呼ばれる域に達してもおごらず、誇らず。謙虚な姿勢が、和田を超一流へと押し上げた。
 MVPという勲章も和田にとっては優勝のおまけのようなものだった。「FAでドラゴンズに期待されて取ってもらっている立場。やっぱり優勝しないと意味がないと思っていた。そういう時にしっかり活躍できたのがよかった」。特別な一年を、こう振り返った。 

ビデオ判定で幻に…3打席連続本塁打

 2010年の和田を語る上で、外せない日がある。5月1日の広島戦(マツダ)。3回に7号2ラン、4回に8号3ランを放って迎えた6回の打席。和田は左腕・ベイルから左翼ポールの上空を通過する打球を打ち上げた。3打席連続本塁打かと思われたが、ビデオ判定の結果、ジャッジが覆ってファウルに。この年からNPBでは本塁打に限ってビデオ判定が導入されており、これが”幻の本塁打第1号”となってしまった。

広島―中日 4回表1死一、三塁、左越えに3点本塁打を放つ和田。手前は叫ぶ森野=2010年5月1日

 「あの打球、自分ではフェアかファウルか分からなかった。でも、絶好調だったんでしょうね、打ち直しでも左前打を打ったんですよ」。切り替えの早さも超一流だったようだ。
 ▼和田一浩(わだ・かずひろ) 1972年6月19日生まれ、岐阜市出身。右投げ右打ち。県岐阜商、東北福祉大、神戸製鋼を経て1997年にドラフト4位で西武へ入団。2002年に捕手から外野手へ本格コンバートされて、レギュラーに定着。04年は野球日本代表の一員としてアテネ五輪にも出場した。08年に中日にFA移籍。10年は優勝に貢献し、MVPを受賞した。15年には史上最年長の42歳11カ月で通算2000安打を達成。この年限りで現役を引退した。獲得した主なタイトルは首位打者(05年)、最多安打(05年)。最高出塁率(10年)。
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