【実録 竜戦士たちの10・8】(12) オリックス・石嶺和彦のFA宣言に驚かなかった中日球団社長 ”ポスト落合”の本命だった
2024年11月5日 05時45分
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】
1993年11月6日。
「セ・リーグ東西対抗」当日の宮崎市営球場は、多くの報道陣でごった返していた。狙いは落合博満、槙原寛己らオフの球界をにぎわしている男たち。騒がしさを避けるように打撃ケージの後ろに張り付いていた落合だが、そんな報道陣の目など気にしないのが巨人の長嶋茂雄監督だ。
落合に歩み寄ると「いろいろ新聞をにぎわしているようだね」と、まるで人ごとのようなひと言。戸惑いながら「ええ」と答える落合に、今度は「どこから来たの?」。これにはさすがに、落合にも苦笑いがこぼれた。
「名古屋です。これから東京に戻って、沖縄(秋季キャンプ)に行ったあと韓国(親善野球)に行きます。15日には戻る予定で、その頃までにはハッキリさせますよ」と、ついつい今後のスケジュールまで披露。うなずきながら聞いていた長嶋は、「じゃあ」と落合の腰のあたりに手をやり去っていった。
名古屋市内の中日球団事務所では、球団社長の中山了がソファに腰かけ、東西対抗の中継に見入っていた。槙原がインタビューで大写しになると、自ら手にしたリモコンで音量をアップする。
「ホンマにFAしてくれるんかいな。巨人は引き留めるやろうし、もし(巨人を)出るとしても、ほかとの激しい奪い合いになるな」
名古屋に残ったドラ番たちと、そんな雑談をしているところに「新たに3人目の選手がFA宣言」のニュースが飛び込んできた。申請書を投函(とうかん)したのは、オリックスの石嶺和彦だった。
「注目を浴びるセ・リーグが、ずっとうらやましく思っていた。セ・リーグでやってみたい気持ちが強い」
当時は西武が圧倒的強さを誇り、球界の「新盟主」とも言われたものだが、人気面ではまだまだ両リーグには大きな開きがあり、石嶺が希望するのは、多くのファンの前でプレーできるセ球団だった。
そんな知らせを聞いた中山は、驚くわけでもなく「そうか。ウチはとりにいくつもりだよ。落合とは全くの別問題。元々、右の強打者がほしかったんだ」と答えた。
さらに打撃コーチの井上弘昭も「毎年70、80打点を稼いでいるが、並の打者にできることじゃない。ホームランもナゴヤ球場なら30本は打てる」と、秋季キャンプ中の沖縄からラブコールを送ってきた。
こうしたフロント、現場首脳の反応を見ても、中日の「本命」が石嶺だったことは間違いない。「落合とは別問題」とは言うものの、すでに中日が“ポスト落合”探しに目を向けているのは明らかだった。=敬称略
(館林誠)
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