【実録 竜戦士たちの10・8】(148)立浪和義、生涯一度きりの一塁ヘッドスライディングで病院直行 出塁もむなしく桑田真澄が8回を無失点に抑える
2025年10月15日 23時08分
【8回 中3―6巨】1994年10月8日(ナゴヤ)
すでに8回。巨人のマウンドには桑田真澄。打席に向かう立浪和義は、こうした大一番での桑田のすごさは、誰よりも知っている。大阪・PL学園高では桑田が3年時の1年。合宿所では身の回りの世話をする「部屋子」として、ストイックなまでの桑田の野球への姿勢を見せられてきた。
「何が何でも、僕が塁に出なければと思っていた」と立浪。この年の対桑田は、ここまで17打数7安打の4割1分2厘。直接対決に勝ち同率で首位に並んだ9月28日の対戦では左翼席に本塁打を放ち、この試合唯一の得点をたたき出している。「シュートを引っかけず左方向に」。桑田撃ちのイメージもできていた。
だが、内角へのスライダーを3球見送り1ボール2ストライク。一度もバットを振ることなく追い込まれてしまった。そして4球目。今度は力のある146キロストレートが、また内へ。カットをしにいった打球は体に近かった分、三塁フェアゾーンに高く弾んだ。
「バウンドが高かったのでセーフになるとは思いました。でも、あのときは一塁までの距離がとてつもなく長く感じて…。気が付いたら、とっさに飛び込んでいました」
一塁へのヘッドスライディングは生涯この一度きり。「『やるな』と教えられてきたし、自分も後輩たちにそう言ってきた。だから距離感が分からず、ベースに近すぎて衝突した感じです」。こう振り返った立浪だが、塁審の手が横に広がるのを確認し立ち上がろうとした瞬間、左肩に激痛が走った。
「肩が外れてしまっています。何とか入れ直してください」。左肩を抑えベンチに下がった立浪の治療は約5分間続いたが、応急処置で試合に戻れるような脱臼ではなく、そのまま市内の病院に直行。今中慎二、落合博満に続き、立浪までもが決戦の舞台から姿を消すことになった。
立浪が救急車で病院に向かっている頃、中日は最後のチャンスを迎えていた。立浪の気迫、その後の中断は、桑田にも何らかの動揺を与えたのかもしれない。続く大豊泰昭、パウエルに珍しくボールが先行。大豊は3―1から右飛に倒れたものの、パウエルは四球で出塁。さらに仁村徹への3球目が暴投となり一、三塁とした。
しかし、仁村はフォークに空振り三振。快音を残した彦野の打球は三塁・岡崎郁の正面へのライナー。満員のナゴヤ球場が何とも言えない大きなため息に包まれた。 =敬称略
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