張本勲さん死去 日韓野球界に尽力 プロ野球殿堂入り&韓国最高位級の勲章「無窮花章」のW偉業

[ 2026年9月10日 10:36 ]

張本勲さん
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 元プロ野球選手で野球解説者の張本勲(はりもと・いさお)さんが9日午後に死去したことがわかった。86歳。日本プロ野球名球会が発表した。東映や巨人などで活躍し、プロ野球史上初となる通算3000本安打を達成するなど数多くの大記録を達成した。一方で、日韓のスポーツ界や在日韓国人社会の発展にも尽力した。

 2007年10月5日には、ソウル市内で開かれた「第1回世界韓人の日記念式」で、韓国の勲一等にあたる「無窮花章(ムグンファジャン)」を授与された。張本さんは、スポニチ本紙の連載「我が道」で、「日韓のスポーツ界、在日韓国人社会発展への貢献を評価していただいたらしい」と振り返っている。「身に余る光栄。私のような乱暴者がこんな重い勲章を…」と恐縮しながらも、「すべては小学5年生から始めた野球のおかげである」と記した。

 張本さんにとって野球は、単なる職業ではなかった。広島の中学時代は「ケンカに明け暮れた」といい、「野球がなければ松本商(現瀬戸内高)に入れなかったし、浪商(現大体大浪商)への転校もなかった。間違った方向に進んでいたかもしれない」と自身の人生を振り返った。

 高校3年時には、理不尽な休部処分で甲子園への道を断たれ、自暴自棄になったという。その時、「自殺を思いとどまらせてくれた」のが、在日韓国人高校野球選手チームによる韓国遠征だった。

 その後、プロ野球の東映に入団。首位打者7度を獲得するなど安打を量産し、1972年には史上4人目の2000安打を達成。1980年には通算3000安打を達成し、韓国から体育勲章「猛虎章」を授与された。

 引退後は韓国野球委員会の特別補佐官などを務めた。そして2007年には「無窮花章」を受章。自身が歩んできた野球人生を通じて、日韓両国、そして在日韓国人社会とのつながりを築いてきたことが評価された。

 張本さんは「我が道」で、自身の幼少期にも触れている。4歳の時に大やけどを負って右手の自由を失い、5歳のときに広島で被爆。「標高70メートルの比治山が直射を防いでくれて助かった命…」と記した。

 「節目節目でよき指導者、友人に恵まれた」と振り返った張本さん。野球によって人生の道を切り開き、やがて日本プロ野球史に残る打者となった。

 張本 勲(はりもと・いさお、韓国名・張勲=チャン・フン)1940年(昭15)6月19日、広島市生まれの68歳。浪商(現大体大浪商)から59年東映(現日本ハム)入団。新人王に輝く。76年巨人、80年ロッテに移籍。23年間でプロ野球最多の通算3085安打を放つ。通算打率.319、504本塁打、1676打点。首位打者7回。MVP1回。90年野球殿堂入り。

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