【根本康広 我が道30】生まれ変わったら騎手には「なりたくない」 その理由は…

[ 2026年10月31日 07:00 ]

調教師最後の白星を長浜鴻緒(右)がプレゼントしてくれました
Photo By スポニチ

 調教師生活最後の日を迎えました。今年の3月1日、中山5R。サザンテイオーは連闘での勝負駆けでした。鴻緒(こお)(長浜)が必死に促すけど、3~4コーナーでの進みがイマイチ。直線を向くまでの格好からこれは厳しいかとみていました。ただ、そこから目の覚めるような脚でインを伸びて差し切り。競馬でああいう勝ち方ってあまりないんですよ。何だか不思議な力を感じました。引き揚げてきた鴻緒はボロボロと泣いていました。思わず抱きしめちゃいましたね。

 厩舎スタッフたちが「乗っちゃえ、乗っちゃえ!」と促すので、私はウイナーズサークルでサザンテイオーにまたがりました。メリーナイスと同じ桃に黒(くろ)鋸(きょ)歯(し)形(がた)の勝負服を着て。担当するのは持ち乗り助手で私の長男・康将。みんなで「こんなのドラマでもなかなかないよ」と言い合いました。当日は菜七子も駆けつけてくれて、弟子、スタッフ全員が勝利に笑顔でした。私らしい引退の日だったと思います。

 妻にはよく「あなたは競馬学校の教官が向いているわよ」と言われたものです。長期騎手講習生時代から下手で仕方がなかったので、若い子がうまくいかない気持ちは分かります。そして5人も弟子をとったのはそんな自分に目をかけ続けてくれた師匠(橋本輝雄氏)への恩返しの気持ちだったと思います。何らかの形で競馬サークルに還元したかった。ただ、師匠のように弟子にダービー馬を用意してあげられなかった。それだけが私の心残りです。

 引退後は夢だったバー(紹介制)を開店しました。半分は趣味みたいなもので、昔からコツコツと集めていたウイスキーのコレクションを仲間たちとチビチビやっています。中にはかなり値打ちがするのもあるんですよ。弟子たちも来てくれて、競馬の話をしてくれます。

 テレビの解説などで競馬の予想をする機会も増えました。半世紀近く禁止されていた馬券をようやく買うことができますから(笑い)。地方競馬とかは結構当たるんですよ。ありがたいことに講演会にもよく呼んでいただきます。こういう文字に残る媒体よりもざっくばらんなお話ができるので、ぜひ足を運んでみてください。講演会なら“ピー”が入るようなことも言えたりしますから(笑い)。

 そういう毎日なので引退後も忙しくさせてもらい、寂しくはないですね。元気、悠太郎、鴻緒と弟子たちの競馬も楽しめますから。「生まれ変わっても騎手になりたいか?」と聞かれた時は「なりたくない」と答えます。凄く苦しかったし、あれだけやる気のなかった生徒がダービージョッキーになるなんて奇跡みたいなものですから。妻の言う通り、競馬学校の教官ならいいかもしれませんね。 =終わり= (構成・高木 翔平)

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

続きを表示

「2026 天皇賞(秋)」特集記事

「ファンタジーS」特集記事

ギャンブルの2026年10月31日のニュース

タグ内の最下位に記述をオススメします ここから-->