木俣達彦、鈴木孝政が語る「燃える男」の素顔 1974年Vの中日エース・星野仙一
2026年4月14日 05時45分
中日ドラゴンズの球団創設90周年を記念し、過去のリーグ優勝、日本一に貢献したレジェンドにスポットライトを当てる「V この男あり」。今回は宿敵・巨人のV10を阻止し、20年ぶりの美酒に酔いしれた1974年のエース、星野仙一を取り上げる。長年、バッテリーを組んだ木俣達彦(81)、プロ2年目でVメンバーとなった鈴木孝政(71)。間近にいた2人だからこそ知る“燃える男”の素顔とは―。(文中敬称略)
◆“鬼神”一転本当は笑顔
9回裏のヤクルトの攻撃を3人で片付け、口を真一文字に結びベンチに引き揚げてくる星野の姿が、高卒2年目、7月に二十歳(はたち)になったばかりの鈴木には“鬼神”に見えた。
74年の優勝を語るとき、当時のV戦士たちの多くが「忘れられない試合」として挙げるのが10月11日のヤクルト戦だ。神宮でまさかの連敗を喫し、2位巨人とのゲーム差は1・5に。この試合を落とせば「3」まで減らしていたVマジックは4試合を残し消滅。優勝の行方は敵地での巨人戦に持ち越しとなる。
直接対決となれば経験、底力で巨人に分があることは誰もが分かっていた。そんなシビれる試合の最後を星野が締め、何とか引き分けでマジックを1つ減らし、自力Vの灯を守った一戦だ。
この試合で、星野から「いいか、最初から飛ばせ。いけるところまで全力でいけ!」とのゲキを受け、先発マウンドに上がったのが鈴木だった。4回に2点を先制され降板したものの、3回までヤクルト打線を無安打に封じ試合をつくった。
「先発で良かったと思う。リリーフなんて心臓が破裂する。普通の神経じゃ投げられない。9回なんて、まずストライクが入らないでしょ。それこそ星野仙一じゃないと無理だって」
気迫あふれるパフォーマンスで「燃える男」の異名を持つ星野も、鈴木にとっては優しく、面倒見のよい“兄貴分”だった。ストレッチやキャッチボールなど2人1組でやるものは常に一緒。1年目のキャンプから、何かと目をかけてくれたという。
「高校生と親分。何で?…だよね。僕は明大に進学する予定だったから、島岡さん(吉郎、当時の明大監督)が報告を入れてくれていたのだと思う。いつも怒っているイメージがあるけど、実は笑顔が似合う人。僕が福井で初先発したときも『ここはオレが初勝利した縁起の良い球場だ』と、さりげなく励ましてくれたりね」
◆右目で打者、左目で捕手、実は冷静
そして、星野を「本当は、すごく冷静な男」と評するのは女房役として14年間、星野の球を受け続けた木俣だ。「打者の反応を見て、投球の途中で投げるコースを変えてくる。『オレは右打者なら右目で打者を見て、左目で捕手を見て投げている』と言っていた。だから特別、速い球がなくても勝てる。そのセンス、投球術は超一流だった」と振り返る。
この年の星野は先発、リリーフとフル回転し、49試合に登板。188イニングを投げ、15勝9敗10セーブで初代セーブ王とともに沢村賞をも獲得した。連投は当たり前。悲鳴を上げる肩の痛みを鎮めるため広島から整体師を呼び、毎日のように治療を受けていたのを木俣も鈴木も知っている。
その星野が自ら先制打を放ち完投で胴上げ投手となったのは、12日の中日球場、大洋とのダブルヘッダー第2戦でのことだ。11日の神宮での激投から、わずか22時間と22分後。駆け寄るナインをマウンドで迎える星野の顔は、前夜の鬼の形相とは打って変わり、クシャクシャに崩れていた。
◇『キーやん、逆だろ』ボヤかれた歓喜の瞬間!星野らのサイン入り~お宝発見~
星野や監督の与那嶺らがサインを書き込んだ、52年前の歓喜の瞬間を捉えた写真が今でも木俣の宝物だ。写真では木俣を星野が抱きかかえているが「『キーやん、逆だろ。普通、投手が捕手に飛びつくんだ。マスクが顔に当たって痛かったわ』とボヤかれた」と笑う。
鈴木が忘れられないのは89年10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ)。序盤からノーガードの乱打戦は4回裏に中日が5点を奪い12―10と逆転。すると監督の星野は、試合前に引退会見を開いたばかりの鈴木を5回のマウンドに送り出した。
その後の5イニングを1失点でしのいで通算124勝目を挙げ、これが現役最後の白星となった。試合後、鈴木に手渡されたのが「監督賞」だった。
「星野監督の下で3年やったけど、あれが最初で最後の『監督賞』。“ご苦労さん”ということだったんだろうけど、そのへんも仙さんらしい優しさだよね」と鈴木。「監督賞」と書かれた封筒は40年近くたった今も大切に取ってある。
▼星野仙一(ほしの・せんいち) 1947年1月22日―2018年1月4日。岡山県倉敷市出身。倉敷商から明大を経てドラフト1位で69年中日入団。現役通算成績は500試合に登板し146勝121敗34セーブ。監督としても中日、阪神、楽天を率い4度優勝(13年は日本一)。17年に野球殿堂入り。
▼木俣達彦(きまた・たつひこ) 1944年7月7日生まれ。愛知県岡崎市出身。64年に中京大を中退し中日入団。通算成績は1876安打、285本塁打、872打点、打率2割7分7厘。捕手でベストナインを5度受賞。引退後は1軍総合コーチなどを歴任。
▼鈴木孝政(すずき・たかまさ) 1954年7月3日生まれ。千葉県出身。成東高からドラフト1位で73年に中日入団。通算成績は586試合に登板し124勝94敗96セーブ。75年から3年連続で救援投手のタイトルを獲得し、76年は最優秀防御率も受賞。引退後は1軍投手コーチ、2軍監督などを歴任。
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