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【竜キャンプ今昔物語(3)】星野仙一、谷沢健一ら『出世城』で育った若い力…「休日は家族と過ごすべき」72年から始まった浜松キャンプ

2026年2月14日 05時45分

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1970年2月、冬日にはえる明石城を背にランニングする竜バッテリー組


◆竜キャンプ今昔物語(3)
 1970年代に入ると巨人が宮崎市、広島は宮崎県日南市、阪急(現オリックス)は高知市、阪神は高知県安芸市など、各球団ともにキャンプ地が定着してきた。
 長く付き合うことで訪れる側と迎える側の理解が深まり、環境面の協力も得やすくなる。何より選手や首脳陣にしても、慣れ親しんだ土地の方が落ち着いて練習に励めるというものだ。
 69年に水原茂を新監督に迎えた中日はキャンプ地を松山市から兵庫県明石市に移した。63年に2次キャンプを行った明石は水原が巨人の監督時代に9度キャンプで訪れ、うち7度優勝。三原脩も60年に大洋(現DeNA)を率い日本一。球場を眼下に見下ろす明石城は球界関係者の間では「出世城」として知られていた。
 そして72年、水原から与那嶺要にバトンが渡ると、キャンプ地は中日の準地元でもある浜松市へ。西遠地区での販売基盤を築きたい中日新聞社の思惑もあったようだが、ハワイで生まれ育って、「休日は家族と過ごすべきだ」と考えていた与那嶺監督にとっても、名古屋から近い浜松は大歓迎だった。

リーグ優勝した翌年となる1975年2月、ファンに手を上げて引き揚げる中日・与那嶺要監督(右)

 6年間使用した浜松市営球場の老朽化に伴う新球場建設のため、78年は同じ西遠地区の静岡県掛川市にキャンプ地移転。当時大流行したフォークの野外コンサートを主目的として建設された一大リゾート地(ヤマハリゾート・つま恋)のコテージが宿舎で、今や当たり前となったビュッフェスタイルの食事も掛川キャンプが始まりだった。
 敷地内にはゴルフ場や温泉があり、食事も好きなものを好きなだけ。ところが、大きな敵となったのが遠州名物の空っ風だった。午後になると冷たい強風が吹き、砂ぼこりとともに打撃ケージさえ吹き飛ぶことも。選手たちは後ろ髪をひかれる思いだっただろうが、1年限りで”リゾートキャンプ”は打ち切りとなった。
 中日が巨人のV10を阻止し、20年ぶりのリーグ優勝を果たしたのは浜松キャンプ3年目の74年。原動力となったのは星野仙一、谷沢健一ら明石の「出世城」で育った若い力。この浜松キャンプ中に地元後援会も発足し、浜松でも優勝パレードが開催された。
  =敬称略=

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