”2代目ミスタードラゴンズ”高木守道 心は熱く、プレーはクールに 木俣達彦さん、鈴木孝政さんが語った大一番での凄さ
2026年4月28日 05時45分
中日ドラゴンズの球団創設90周年を記念し過去のリーグ優勝に貢献したヒーローを取り上げる「V この男あり」。今回は1974年のリーグ優勝へ、攻守でチームをけん引した高木守道。前回の星野仙一編に続き当時のV戦士である木俣達彦(81)、鈴木孝政(71)の2人に「2代目ミスタードラゴンズ」を語ってもらった。(文中敬称略)
◆痛み止めの注射を打ってはベンチを出ていく
「1番、セカンド高木」。1974年10月23日のロッテとの日本シリーズ第6戦。中日の先発オーダーを告げる場内アナウンスに、中日球場がどよめきと歓声に包まれた。
「骨折だよ。普通、無理でしょ」と木俣が言えば、鈴木も「毎回、痛み止めの注射を打ってはベンチを出ていく。正直、ここまでして、やるのか」と思ったそうだ。
3日前の第4戦で自打球を左足首に当て骨折。「全治3カ月」の診断を受けた高木が、1試合休んだだけでグラウンドに戻ってきたのだ。試合には敗れ20年ぶりの日本一はならなかったが、高木は痛みをこらえ延長10回をフル出場し、「敢闘賞」を受賞した。
闘志むき出しで相手に向かっていくのが星野なら、逆に闘志を内に秘め淡々とプレーするのが高木だった。鈴木が覚えているのは試合後のロッカーで、静かにグラブとスパイクを磨く高木の姿。「投手と野手の違いもあるし口数の少ない人。入団して5年ぐらいは、まともに話しかけられない存在だった」と言う。
◆寡黙な男のここぞのひと言
それでも普段が寡黙な高木の、ここぞのひと言には重みがある。「抑えをやっていた頃、先頭打者を四球で歩かせると、守道さんが走ってきて『しっかりせんかい!』。アレでピリッとした。まさに千金の声掛け。気合を入れるタイミングは絶妙だった」と振り返る。
そんな高木が珍しく喜びをあらわにしたのが74年6月28日の阪神戦(中日)だ。3点を追う9回の攻撃は1点を返したものの、すでに2死。ここで走者を2人置き、古沢憲司のストレートを振り抜いた高木の打球は逆転サヨナラ3ランとなり左中間席に飛び込んだ。
実は、中日ナインを乗せたバスがファンに囲まれ立ち往生したのは、この2日前の大洋戦(川崎)でのこと。いきなり初回、高木には珍しい2つの失策が敗戦につながり首位・阪神とのゲーム差は5・5に。怒ったファンが「高木を出せ!」と騒ぎたてたものだった。
自らのミスを取り返した高木の劇的弾を「守道さんはストレートと分かっていたはず」と断言するのは木俣だ。「投手のクセを見抜くのが得意。堀内(恒夫、巨人)は帽子のひさしが右を向くとカーブとか…」と言う。チームもこの高木の一発で息を吹き返し、ここから6連勝。阪神、巨人との三つどもえの首位争いに踏みとどまった。
この年のシーズン成績は2割7分6厘、15本塁打、47打点ながら、V決定までの直近20試合に限れば87打数30安打の3割4分5厘、5本塁打、14打点。10月11日のヤクルト戦(神宮)で9回2死から同点打を放ち、自力V消滅の危機を救ったのも高木だった。大一番になればなるほど力を発揮する。そこが木俣がうなる高木のすごさだ。
◆巨人のV10を阻止して嬉し涙
巨人のV10を阻止し、悲願のリーグ優勝を果たした直後の選手食堂。今でも鈴木のまぶたに焼き付いている光景がある。
「ベテランと言われる先輩たちが泣いている。それも大泣き…。何か不思議な感じだった。でも、そりゃそうだよね。9年間、巨人に負け続け、優勝は20年ぶり。積もり積もった悔しさを、やっと晴らせたんだから。みんな、この日のためにキャンプからやってきたんだな、と思った」
プロ15年目。チーム野手最年長の33歳となっていた「2代目ミスタードラゴンズ」も、もちろん、そんなベテランの一人だった。
◇日本人初のメジャーリーガーになっていたかも!?~お宝発見~
木俣が紹介してくれたのが懐かしい高木との2ショット写真。年代の記憶は曖昧だが、ユニホームのデザインから推察すると1970年前後だろう。秋に高木とともに米フロリダ州へ野球留学したときのものだという。
「確かワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)だったと思う。守道さんは、向こうの監督に気に入られてね。『おまえは残れ。守備ならウチの二塁手よりうまい。大リーガーになれるぞ』と誘われていた」と木俣。もし、高木がその気になっていたらイチロー、新庄剛志の30年ほど前に、日本人野手初のメジャーリーガーが誕生していたかもしれない。
そして、鈴木の大切なコレクションとなっているのは中日スポーツから77年に発行された、当時80円の「プロ野球手帳」(現在の「プロ野球選手ガイドブック」)だ。
前年の76年に鈴木と同じ千葉県出身の谷沢が首位打者を獲得。鈴木も75年の最多セーブ賞に続き、最優秀救援投手賞を受賞。「2代目ミスタードラゴンズ」を真ん中に表紙を飾った3ショットは、鈴木にとって「チームの顔」として認められた証しでもあった。
▼高木守道(たかぎ・もりみち) 1941年7月17日―2020年1月17日。岐阜県出身。県岐阜商から60年に中日入団。通算2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、打率2割7分2厘。盗塁王を3度、二塁手でベストナインを7度受賞。監督として94年の巨人との最終戦同率対決「10・8」の指揮を執る。06年に野球殿堂入り。
▼木俣達彦(きまた・たつひこ) 1944年7月7日生まれ。愛知県岡崎市出身。64年に中京大を中退し中日入団。通算成績は1876安打、285本塁打、872打点、打率2割7分7厘。捕手でベストナインを5度受賞。引退後は1軍総合コーチなどを歴任。
▼鈴木孝政(すずき・たかまさ) 1954年7月3日生まれ。千葉県出身。成東高からドラフト1位で73年に中日入団。通算成績は586試合に登板し124勝94敗96セーブ。75年から3年連続で救援投手のタイトルを獲得し、76年は最優秀防御率も受賞。引退後は1軍投手コーチ、2軍監督などを歴任。
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