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井端弘和、チーム16年ぶりのフルイニング出場 名実ともに「不動」の遊撃手にさせた松井秀喜の言葉

2026年9月29日 05時45分

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2006年10月10日、リーグ優勝を決めガッツポーズする井端(右)と荒木=東京ドームで


◆中日球団創設90周年企画「V この男あり」第14回
 球団創設90周年を記念し、優勝に貢献した名選手を取り上げる企画「V この男あり」。落合政権2度目の優勝となった2006年に不動のショートとしてフルイニング出場を果たしたのが井端弘和(51)だった。春先の不調を乗り越え、チームに欠かせない存在として戦い続けた。(文中敬称略)

青かった東京ドーム「こんなにいるの?」

 2006年10月10日の東京ドームは青かった。試合が終盤に差しかかったころ、遊撃を守っていた井端はふと視線を上げた。「こんなにドラゴンズファンいるの?」。いつもならこの球場は左翼席以外はほぼG党で埋まる。それが、だ。
 「体感だとドラゴンズファンが半分以上。東京ドームでそんなことはありえないですから。あの景色には驚いたし、一生忘れないですね」
 井端の記憶によると、マジック1で迎えた一戦は、中止になった地方試合の代替だった。新たにチケットが売り出されたことも球場が青く染まった一因となった。
 試合は膠着(こうちゃく)状態のまま延長12回に。1死一塁から1番荒木が左前打で、一、二塁となって打席が回ってきた。落合監督がベンチ前で耳打ちする。
 「お前が決めてこい」
 井端は「そう言われたということは中途半端ではなくてある程度振っていいんだなという感触にはなった」。指揮官の意図を受け止め、バッターボックスへ。この「あうん」が強さでもある。
 マウンドは高橋尚成。スライダーが連続で外れ2ボールに。一転、内角に来た直球を強振して空振り。次も直球でカウント2―2に。「これで最後は変化球でしょ、と」。狙い澄ましたスライダーを引っ張り、左前へ。井端らしくつなぎ、福留の勝ち越し中前打、ウッズの満塁弾を演出し、歓喜の瞬間を迎えた。

3、4月が1割台…苦しみから始まったシーズン

 個人的には「苦」からスタートしたシーズンだった。1、2番を打ってきた井端にオフから「3番構想」が持ち上がったが、これが落とし穴になった。「3番なら長打もというところで打撃を崩した感はあった。攻めも厳しくなっていたのもある」。3、4月を打率1割台で終えた。東京からの移動日だった5月1日にはレギュラー獲得後、初めて休日返上でナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)で約1時間の特打を敢行している。
 「何かが違った。一、二塁間を破っているつもりが二塁の正面に行ってしまう。引っ張っても引っ張り切れていない遊ゴロ。そして正面の二直、遊直というのはもう最悪。いないところに打っているつもりなのにそこに飛んでいるわけだから。バットの角度は本能的に覚えているのに、狙ったところに行かない」
 わずかな誤差が大きな結果の違いとなって表れるのがプロの世界。良いときは誰にでもある。そうでないときこそプロ野球選手は試される。じわりじわりと状態を上げ、終わってみれば打率は2割8分3厘。井端は「スタートであれだけ苦しんでも何とかなるんだというのは自信になった」と振り返る。

「もう一生見に来られない人もいるかもしれない」

 10月16日の最終戦でチームとしては16年ぶりのフルイニング出場を達成した。「そのころは出るのが当たり前だった。松井(秀喜)さんにオールスターで『なぜ出続けるのか』『出続けて大変ではないのか』と聞いたことがあった」。返しは今でも覚えている。「もう一生見に来られない人もいるかもしれないから」。この言葉は今でも胸に刻まれている。
 「これがプロだと思った。そこを考えているんだと。聞いたときはまだそういう選手ではなかったけど、レギュラーで何年かやっているうちに意識はそっちに変わっていった」
 井端は名実ともに「不動」の遊撃手になった。

ゴールデングラブ賞のトロフィー

”アライバコンビ”の象徴 ゴールデン・グラブ賞【お宝拝見】

 井端はこの年3年連続でゴールデン・グラブ賞に輝いている。遊撃で全146試合フルイニング出場を果たし、トータルの守備成績は4失策で守備率9割9分4厘と圧倒的な数字を残した。二塁の荒木も3年連続受賞し、球界でアライバコンビの存在感が際立っていた。その際に受け取った記念の金色のグラブ型トロフィーは今も自宅に大切に保管されている。
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