池谷公二郎さん死去 引退決意の王貞治に「池谷の球についていけなくなったから」と言わしめた沢村賞投手

[ 2026年10月30日 05:05 ]

池谷さんのピッチング(撮影:1978年、横浜スタジアム)

 元広島の投手で、広島、巨人で投手コーチも歴任した池谷公二郎(いけがや・こうじろう)さんが、29日に多発性骨髄腫のため死去した。74歳。静岡市出身。通夜、告別式は近親者で行う。

 72年に広島からドラフト1位指名を受け、74年に入団。2年目の75年に18勝をマークして球団初の優勝の立役者となり、翌76年には20勝を挙げて沢村賞。79年にも12勝を挙げ、球団2度目の優勝と初の日本一に貢献した。

 左腕を高く突き上げ、大きく右腕を振って剛球を投げ込む「ぎっこんばったん投法」で快投を重ねた。引退を決意した王貞治に「池谷の球についていけなくなったから」と言わしめた。78年9月の中日戦ではイニング3者連続3球三振の「イマキュレートイニング」を達成。9回での達成はプロ野球初だった。

 3度のリーグ優勝と2度の日本一を支え、85年に現役引退後は解説者としても活躍した。昨年11月の「Carp Legend Game 2025」にも出場し、ファンに元気な姿を見せていた。

 現役時代にともに戦い、投手コーチ時代には指導も受けた大野豊OB会長は「残念でさみしい。僕がプロに入りたいという気持ちにさせてくれた大先輩だった。“普段は優しくてもいいが、マウンドに上がったら闘争心を出しながら勝負しないとダメだ”というメンタル的な強さ、気持ちの部分を教わった」と悼み、「カープがまた強くなってほしいという池谷さんの気持ち、魂を、若い人が受け継いで、もう一度強いチームになってほしい」と願った。 (渕上 幹也)

 池谷 公二郎(いけがや・こうじろう)1952年(昭27)6月28日生まれ、静岡県出身。静岡商から金指造船、日本楽器を経て72年に広島からドラフト1位指名を受け74年に入団。2年目の75年に18勝を挙げ、球団初のリーグ優勝に貢献。76年は20勝で最多勝、最多奪三振、最優秀投手賞、沢村賞を獲得。85年現役引退。89~92年に広島投手コーチ、98~01、04年は巨人投手コーチを務めた。右投げ右打ち。

 ▼外木場義郎氏(75年は20勝で最多勝)OB会に出席しない時があり状態が良くないのかと心配していた。まだ若い。まさか、こういう報告を受けるとは。初優勝の時は大車輪の働きをしてくれた。イケが18勝。私が勝てなくてもイケが勝ってくれた。頼もしかった。

 ▼大下剛史氏(75年に44盗塁で盗塁王)屈託のない笑顔が印象に残っている。初優勝の時も彼の明るさがチームの和を取り持っていた。抑えても打たれても明るく、チームを照らす存在だった。

 ▼安仁屋宗八氏(広島などで通算119勝)浩二が監督をした時、ワシとイケが投手コーチだった。野球に対する情熱は誰よりも熱かった。私生活では、オフになると家族ぐるみでキャンプに行った。内田(順三)らも一緒に、コテージを借りて。子供たちと一緒に魚釣りをした。いろいろなところで縁があっただけに、本当に寂しい。

 ▼広島新井監督 若い頃から気さくに声をかけていただき、また、励ましていただいた優しい先輩でした。心からお悔やみ申し上げます。

 ▼広島大瀬良 1、2年目に“若々しく投げっぷりがいいから、真っすぐで勝負していきなさい”という話を球場に来るたびにしていただいた。厳しくも温かい叱咤(しった)激励を頂きながらということもありましたね。

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