水谷八重子さん死去 87歳「劇団新派」の伝統守った看板女優 離婚会見が流行語に 謝罪会見で交際宣言も

[ 2026年9月1日 05:20 ]

亡くなった水谷良重さん(96年撮影)

 劇団新派を代表する女優で、映画、テレビでも活躍した水谷八重子(みずたに・やえこ、本名松野好重=まつの・よしえ)さんが8月28日午後0時18分、肺炎のため都内で死去した。87歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。松竹が31日、発表した。

 2月に都内でバレンタインコンサートを開催。翌3月には都内で「新派・松竹新喜劇合同喜劇公演」(5月、東京・新橋演舞場)の製作発表に出席したが、その後体調を崩して同舞台を休演し、静養していた。最後の舞台出演は、昨年2月の京都・南座での新派公演「三婆」となった。

 父は歌舞伎俳優の十四代目守田勘弥、母は初代水谷八重子と芸能一家に誕生。1955年、16歳の時に水谷良重を名乗り新派の公演で初舞台を踏んだ。同時に歌手としてもデビューし、58年から4年連続でNHK紅白歌合戦にも出場した。当時、俳優は所属映画会社の作品にしかほぼ出られない「五社協定」があったが、水谷さんは新派女優ということで“縛り”がなかった。57年に東宝「青い山脈」で銀幕デビューすると、翌58年には松竹「煙突娘」に主演。大映「悪名」シリーズにも出演した。草創期のテレビでも黒柳徹子、横山道代と“3人娘”と呼ばれ活躍した。

 人生の一大転機は79年、母八重子の死。波乃久里子らとともに劇団新派の中心女優となった。95年には二代目水谷八重子を襲名。新派の座頭となり「滝の白糸」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」などに主演し、演劇界の中で新派の伝統を守り抜いた。

 私生活でも話題を集めた。59年にジャズドラマーの白木秀雄と結婚。63年に離婚し、会見で発した「愛しているから別れます」の言葉は流行語になった。84年には交通事故を起こした後、都内の自宅2階から飛び降り。左足小指の骨折と大事には至らなかったが、当日、人気歌舞伎俳優の初代尾上辰之助(当時37)と不倫の逢瀬(おうせ)をしていたことが発覚。5日後に行った謝罪会見では「大人の関係です」と堂々と交際宣言した。馬主としても知られ「ハロードーリー」などブロードウェーのミュージカルから名付けていた。

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