「何度も泣かされて…」阪神ドラフト5位・能登嵩都を支えたオイシックス・野間口貴彦ヘッドの愛のムチ

[ 2025年11月5日 05:15 ]

10月23日のドラフト会議での指名会見で写真に納まる(左から)野間口コーチ、知念、能登、牧野、池田社長
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 10月23日に行われたプロ野球のドラフト会議で、オイシックス新潟アルビレックスBCは球団史上最多となる3選手が指名を受けた。阪神から5位指名を受けた能登嵩都投手(24)は、桐蔭横浜大時代の実績はリーグ戦3試合のみだったが、球団初の投手の支配下指名を受けるまでに成長。入団を誘い、二人三脚で支えてきたのは野間口貴彦チームディレクター兼ヘッドコーチ(42)だった。

 ドラフト指名で沸く新潟市内の会見場。その片隅で、野間口コーチは人知れず感慨に浸っていた。「僕自身もホッとした気持ちです」。球団史上最多の3選手が指名を受けた。兼務するチームディレクターとしても、喜びは大きかった。

 能登への思いは特別だった。加入2年目の今季は12勝、102奪三振、防御率2・60、勝率・750がリーグトップ。野間口コーチは「彼にとっていい2年間だった」と語る一方で「まさかこういう最終幕とは…」とも言った。旭川大高(現・旭川志峯)では3年夏に甲子園に出場。初戦で星稜に0―1で敗戦も奥川(現ヤクルト)と投手戦を演じ、アピールした。当時、巨人のスカウトだった野間口コーチも現地で視察しており「印象に残っていた」と振り返る。

 “再会”は能登が桐蔭横浜大2年の時。オイシックスの編成を担う立場で別の投手を視察しに行った際、同じく投球練習をしていた能登に目がとまった。気になる存在として再び印象に残ったが、結局、最終学年の23年シーズンを終え、4年間のリーグ戦登板は3試合。それでも何度か視察して素質にほれ込んだ。翌24年はイースタン・リーグ参加1年目の大事なシーズン。「勝負、かけよう」と誘い、入団が決まった。

 昨年5月。結果だけに目を向けて内容を求めない能登に対し、野間口コーチは言った。「俺の前で二度と“NPBに行きたい”なんて言うな」。巨人で通算111試合に登板し通算13勝。NPBの厳しさを知っているからこそ「シンプルに覚悟が足りなかった」と突き放した。能登は「何回も泣かされて。“なんだ、クソ!”って思ったことも」と苦笑いで振り返るが、“恩師”の愛を感じて意識が変わり、そこから成長曲線を描く。開幕投手に指名された今季は投手4冠でプロの扉を開け「厳しかったけど野間口さんを信じてやってこられた結果。感謝しかない」と言った。

 野間口コーチは「新潟を巣立っていった選手たちが、1軍の舞台で対戦してくれたらうれしい」と期待する。いろいろな思いが形となり、それが縁としてつながっていく。だからドラフト会議は“運命の日”と呼ばれる。 (大島 享也)

 ◇能登 嵩都(のと・しゅうと)2001年(平13)9月29日生まれ、北海道出身の24歳。神居小4年から神居少年団で野球を始め、神居中では旭川大雪ボーイズでプレー。旭川大高(現・旭川志峯)では3年夏に甲子園出場。桐蔭横浜大ではリーグ戦通算3試合に登板。24年にオイシックス入団。1メートル84、88キロ。右投げ右打ち。

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