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【追悼】「矢吹丈」が真っ白な姿に描かれた意味 ちばてつやさんからのメッセージ

[ 2026年10月27日 19:00 ]

ちばてつやさん
Photo By スポニチ

 【君島圭介のスポーツと人間】

 東京ドームの前身である後楽園スタジアム。その球場に隣接していた後楽園ホールと同じビルに、かつて「田辺ボクシングジム」があった。

 東洋(現OPBF東洋太平洋)フェザー級王者になった名ボクサー・金子繁治が引退後に指導者としてのスタートを切ったジムであり、日本フェザー級タイトルマッチで、のちの世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王者・小林弘を破った菊地萬蔵が会長を務めた伝説的なボクシングジムだ。

 聖地である後楽園ホールの真下にあったのだから当時のボクシング界の中心地であったことは想像に難くない。

 三橋高夫さんは、その田辺ジムの所属ボクサーだった。

 新潟県から体ひとつで上京。人生一発、大勝負を仕掛けるならボクシングだ、とジムの門を叩いた。

 三橋氏は1963年度の全日本フェザー級新人王となったが、実質的に世界王者への挑戦権をかけた1967年5月の日本フェザー級タイトルマッチでは小林弘に判定で惜敗した。

 ちばてつや氏の名作漫画「あしたのジョー」が週刊少年マガジンで連載を開始したのが翌1968年である。

 三橋さんから「ちば先生は毎日田辺ジムに来て、何時間も何時間も僕らの練習風景をスケッチしていたんですよ」と聞いたことがある。

 矢吹丈、力石徹、金竜飛、カーロス・リベラ、ホセ・メンドーサら「あしたのジョー」の登場人物の筋肉の動き、飛び散る汗や血、ジムやリングの匂いまでも紙面から漂うような臨場感はそうした努力と観察眼から生まれた。

 長い間、日本人にとってボクサーの象徴的な存在であった主人公の矢吹丈は、ちばてつや氏が戦後満州から引き上げた際に目にした、空襲で焼き出され、上野駅のガード下でボロをまとい、日々生きるために目をギラギラさせていた野性的な戦争孤児がモデルだという。

 そして、昭和のボクシング界はまさにそんな世界だった。

 三橋さんの戦績を調べるとデビュー戦が1962年8月11日で、4回KO勝利。2戦目は12日後の8月23日、何と3戦目はその3日後の8月26日。デビューから2週間で3試合(3連勝)している。

 「試合が終わると控え室でマネジャーから“来週試合な”と伝えられる。でも嫌じゃなかった。ファイトマネーが必要だったし、勝てば成り上がれるからね」

 現役生活の戦績は41戦27勝(9KO)12敗2分け。わずか6年間の現役生活でこれだけリングに上がっている。

 その中には今でいう“世界前哨戦”も含まれているのだから壮絶だ。

 三橋さんは引退後、いくつかのジムで指導者となり、福岡県福岡市に博多協栄ボクシングジムを創設。今も名誉会長としてボクシング界に携わっている。

 「あしたのジョー」連載は日本の高度経済成長期と重なる。当時は日本タイトルマッチでさえゴールデンタイムの地上波放送で生中継されていた。時は令和となり、ボクシングはNetflixやAmazonプライムでネット中継され、選手は何十億も稼げるようになった。

 井上尚弥や中谷潤人らは恵まれた現代に“ぽっ”と現れたわけではない。三橋さんら昭和のボクサーが文字通り血と汗で築き上げた牢固な土台の上に今の栄華が成り立っているのは間違いない。

 もちろん、現在のボクサーすべてが注目され、稼いでいるわけではない。華やかな現代においても、かつてジムの片隅でちばてつや氏がスケッチしたような名もなきボクサーの方が圧倒的に多い。矢吹丈は今もそんな彼ら自身の姿だ。

 「あしたのジョー」の最後の一コマ。ホセメンドーサの世界バンタム級王座に挑戦し、敗れた丈がコーナーに座り込み、真っ白になる姿が描かれた。

 その意味をちばてつや氏は自らの言葉で「真っ白になるまで頑張れば、新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった」と明かしている。

 あのラストシーンは敗北や死を象徴しているわけではない。“あした”の希望を伝えているのだ。だから丈はほほ笑んでいたのだ。

 漫画家ちばてつや氏が、22日午後、東京都の病院で死去した。87歳。そのペンで、昭和から令和にかけて日本中すべてのボクサーに“あした”があることを教えてくれた人物だった。
 

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