角田夏実さん 柔道家魂に火が付いた大舞台での“瞬殺負け”「もっと知っていければ強くなれるな」

[ 2026年10月26日 15:06 ]

角田夏実さん
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 パリ五輪柔道金メダルの角田夏実さん(34)が26日、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(月~金曜前11・30)にゲスト出演し、人生初の全国大会で喫した屈辱の敗北について語った。

 パリ五輪には48キロ級で出場。得意の巴投げを駆使し、圧倒的な強さで世界の頂点に立った。天才肌と思われがちだが、今月発売された著書「凡人が天才を凌駕するとき 不器用な遅咲きメダリストが極めた準備力」(KADOKAWA)のタイトルのように、努力しても実力が伴わない時代が続いたという。

 「泣き虫で気持ちの弱い子だった」角田さんは、小学2年生のころに父の勧めで柔道を始めた。「小柄で体重も軽かったので、なかなか勝てなくて。男女、小学生の時は一緒で、いつも泣いてばかりで、泣き虫なっちゃんと呼ばれて」。稽古がいやで、隅に隠れているうちに寝てしまったこともあると明かした。

 地区大会でも1、2回戦で負けていた角田さんも、中学になり、階級別や男女別で試合をするようになると、「少しずつ勝てるようになっていった」という。県大会で優勝。「気づいたら中学校2年生の時に全国(大会)に行って」。ついに初の大舞台を踏んだという。

 意気揚々と全国大会へ駒を進めた角田さん。待っていたのは、信じられない結末だった。「めちゃくちゃうれしくて、私、強いかもしれないって思って、全国へ行ったら、13秒だったので」。開始13秒、相手の一本背負いに対応できず、瞬殺負けだった。

 「その技で負けた時に、まだそこまで習っていなかったんですね。その技自体を知らなかった。2本持ってかける技しか知らなかったので。え?何で手が離れて、逆に入ってこられたんだろう?って。気がついたら投げられていて。戻ってきた時に、中学校の柔道部の監督に“まだ教えてなかった。ごめんな”って笑われたんですね」

 この敗北が、角田さんの探究心に火を付けたという。「逆に知らなかった技だからこそ、もっと知っていければ私も強くなれるなって思ったんです。もっとやりたいなと思って、“ここの強豪校に行きたい”って、親にお願いして、いろいろ手続きとかをしてもらっていって、行けて」。さらに「そこから3年間、柔道漬けの毎日を過ごした」と振り返った。

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