【奥野史子 我が道12】ジャッジに名前売るために欧州転戦 メダルをたくさん持って帰国すると…

[ 2026年9月12日 07:00 ]

演技する現役時代の奥野史子さん
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 パンパシフィック選手権の後は欧州に渡り、9月のプレ五輪までに世界に名前を売ろうとスペイン、イタリア、フランス、スイスなど各地を転戦しました。ただ、当時は同行するスタッフは金子ヘッドコーチだけで、大きくて重いアンプや水中スピーカーなども全部自分で持って移動しなくてはなりませんでした。移動間のタクシーも自分たちで手配するのが当たり前で、なかなか来ない時は重い荷物を持ってホテルまで歩いたこともありました。今はそのようなことはないと思うのでうらやましいですね。

 プレ五輪前最後の試合はW杯ボン大会(ドイツ)で、ソロは3位、デュエットも2位に入ることができました。シンクロは採点競技ですが、アーティスティックスイミングになった今とは採点方法が違い、当時はとにかくジャッジの主観が大きく影響する採点でした。順位の変動はよほどのことがない限りないシステムだったので、一度表彰台から落ちると世界中のジャッジにその情報がインプットされて二度と上がってこられなくなる。だからメダルの死守は必須で、どの試合も必死でした。

 五輪前哨戦となるプレ五輪は、9月20日から22日までバルセロナの本番用プールで行われました。アウトドアでまだ観客席はできていませんでしたが、この大会の結果が翌年の五輪に直結するのでピリピリした空気が張り詰めていました。デュエットは米国のジョセフソン姉妹が実力も知名度も群を抜いていて、さすがに彼女たちに勝つのは厳しいと思っていました。高山さんと私のデュエットも内容的には負けていなかったと思います。評価も高かった。でも残念ながらジャッジの評価をひっくり返すまではいかず私たちは2位で演技を終えました。米国と並ぶ強豪のカナダは表彰台の常連だったビラゴス姉妹が引退したためにこの大会は別のペアで3位でしたが、翌年には再びビラゴス姉妹が現役復帰してバルセロナにやって来ることになります。

 ソロは1位がシルビー・フレシェット(カナダ)で、クリステン・バブスプレーグ(米国)が2位。私は3位で目標の表彰台を達成することができました。上の2人はスター中のスターなので、上回るのはやはり難しい。デュエット2位、ソロ3位の結果は妥当で納得できるものだったので、「これで来年のオリンピックにつなげられる」と胸を撫で下ろしながら日本へ戻りました。

 実は遠征に行く前に井村先生から「あんたたちでは勝てへんと言ってる人もいるからな。だからそのつもりで頑張ってくるんやで」と言われていたので、遠征中はずっと「絶対そんなこと言わせへんわ」と思いながら演技をしていました。メダルをたくさん持って帰ったら一転して「やっぱりあんたらやったらやると思ったわ」とたくさんの人に言われたのは痛快でした。

 ◇奥野 史子(おくの・ふみこ)1972年(昭47)4月14日生まれ、京都市出身の54歳。6歳から「京都踏水会」でシンクロを始め、同志社大2年の時に出場した92年バルセロナ五輪のソロとデュエットでともに銅メダルを獲得。94年世界選手権では「笑わないシンクロ」で史上初の芸術点オール10点満点を記録した。引退後は日本人で初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演。02年に陸上の朝原宣治と結婚した。

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