【奥野史子 我が道23】シンクロが感動的なショーに「絶対この舞台に立つ」待望の出演依頼が届くも…

[ 2026年9月24日 07:00 ]

ラスベガスへ向かう直前に9・11のテロが起きました(AP)
Photo By スポニチ

 仕事でスポーツシンポジウムに参加した際、同じ同志社大出身でミスターラグビーの平尾誠二さんとお会いする機会がありました。平尾さんはすでに同大の大学院で勉強されていて「一緒に勉強しない?」と誘われたので、私も99年に受験して進学することになりました。大学院で研究したのはエンターテインメントスポーツの日本における可能性、要するにシンクロのプロ化です。当時まだシンクロにはプロがなく、日本でシンクロのショーをやりたいというのが私の一番の夢でした。

 同じ99年の夏休みには友人と米ラスベガスへ遊びに行きました。現役の時に一緒に泳いだ米国やカナダの選手たちが出演していると聞いていた「シルク・ドゥ・ソレイユ」の「O(オー)」を一度見てみたいと思ったのです。「シルク・ドゥ・ソレイユ」はカナダのモントリオールを本拠地とする世界最高峰のエンターテインメント集団です。

 高級ホテル「ベラージオ」で開催されたショーは大きなプールを中心に、華麗な衣装を身に着けたパフォーマーたちが踊って、飛んで、泳ぎ回る幻想的な舞台でした。超トップレベルのアスリートにしかできないアクロバティックに、芸術性をミックスさせた感動的なショー。自分がやってきたシンクロがこういう形になるんだ、こういう形に転換できるんだ…。あまりの感動でいつの間にか涙がこぼれ落ち、その場で「日本に帰ったら仕事をやめて絶対この舞台に立つ」と決めていました。

 決めたら即実行がモットーです。そのままホテルの従業員出口で“出待ち”し、知った顔が出てくるのを待ちました。そこで現役時代に一緒に泳いだフランスのステファン・メルモンを見つけて「私も入りたい」と言うと、ステファンは「だったらトレーニングビデオとアピールビデオを送って。ディレクターに渡すから」と約束してくれました。

 日本に帰るとすぐ所属事務所に「来年3月で仕事をやめさせてください」とお願いし、着々と渡米の準備を進めました。2000年8月からは本拠地のモントリオールでトレーニングを4カ月間積み、シンクロとは違うフィジカルや表現、言葉の授業を受けました。私の他にも世界中から50人ぐらいの参加者がいて、それぞれがさまざまなトレーニングを通じてアスリートからアーティストへと変わっていきました。ただ、各ショーの出演者は人数が決まっているので欠員が出ないと自分の出番が回ってこないシステムだったので、残念ながら「O(オー)」は4カ月の間に欠員が出ず、私は一度日本に戻って改めて連絡を待つことになりました。

 日本にいる間に遅れていた大学院の卒論を仕上げてすぐ、待望の出演依頼が届きました。01年9月、喜び勇んで再びラスベガスに渡ろうとした時、突然起きたのがあの9・11米中枢同時テロでした。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

スポーツの2026年9月24日のニュース

タグ内の最下位に記述をオススメします ここから-->