液状化で校舎が被災、能登半島地震で消えた西荒屋小学校の風景 にしっこが学びやに戻るまで
2026年10月28日 12時00分 (10月28日 12時00分更新)
【連載】にしっこ 学びやに戻る 被災した内灘・西荒屋小
2024年元日の能登半島地震による液状化被害で校舎が被災した石川県内灘町の西荒屋小学校が11月13日、元の校舎での学校生活を再開する。「にしっこ」の愛称で呼ばれる児童たちは2年10カ月にわたり、別の小学校を間借りして授業を受けてきた。復活までの道のりには地域住民や教職員の支えがあった。
(1)液状化で校舎が被災、能登半島地震で消えた西荒屋小学校の風景 にしっこが学びやに戻るまで(この記事)
平日午前8時ごろ、内灘町保健センターの駐車場にスクールバスが到着した。「おはようございます!」。ランドセル姿の子どもたちが元気なあいさつとともにバスから降りてくる。西荒屋小の児童たちだ。現在33人がセンター近くにある鶴ケ丘小学校に通う。
そこから5キロ離れた西荒屋小は、今も復旧工事の足場に囲われたまま。液状化被害が大きかった西荒屋地区は、子どもの声や登下校の風景が消えたままだ。
あの日、西荒屋小校長だった浮田いづみさん(60)=現津幡町条南小校長=は地震後すぐ、町内の自宅から車で西荒屋小に向かった。だが激しい液状化で思うように進めない。途中で車を降り、歩いてたどり着いた。多くの住民が身を寄せた体育館で一晩中、避難所運営に忙殺された。
被害の深刻さに気づいたのは翌日、明るくなってからだ。通学路は至る所で地面が隆起し、地中から土砂が噴出。電柱は大きく傾いていた。明らかに児童が安全に歩ける環境ではない。学校も校庭はひび割れ、玄関は大きく損壊。断水も解消の見通しが立たなかった。「これでは通わせられない」。1月9日の始業式は臨時休校となった。
その後、町教委は空き教室が多い鶴ケ丘小での授業再開を決定。22日に全校児童約50人が集まった。被災した自宅や避難先の親類宅など、慣れない環境から通う子どもたち。教員たちは環境変化による児童への影響を和らげるため、西荒屋小の机やいす、教室内の掲示物などを全て鶴ケ丘小に運んだ。同じ配置で再現することにこだわった。
浮田さんは「せめて学校は前と変わらず『楽しく安全な場所』と思ってほしかった」と振り返る。教室や職員室は鶴ケ丘小と別にし、学校行事は西荒屋小だけで開催。保護者の不安も減らそうと、学校再開から数日後に授業参観を開いた。
3月の卒業式を前に、当時の6年生は授業の合間などに「絶対に西荒屋小で卒業したい」と教員に思いを伝えていた。その願いをかなえようと、学校は損壊が少なかった体育館での開催を決めた。地震で体育館の入り口は大きな段差ができたため、安全に歩けるよう、スロープを設けた。
式当日、全校児童と教職員、保護者が西荒屋小に集合。6年生8人が学びやで門出を迎えた。卒業生だった堀皐月(さつき)さん(15)=内灘中3年=は「もう戻れないと思っていた。思い出の詰まった学校で卒業できてうれしかった」と話す。
浮田さんは「あの時は無謀かなとも思ったが、子どもたちの願いをかなえられてホッとした」と当時の心境を思い返す。卒業式はその後も毎年、西荒屋小の体育館で開かれている。
こうして始まった鶴ケ丘小での学校生活。さらなる課題が待ち受けていた。 (この連載は栗田啓右が担当します)
内灘町の液状化被害 西荒屋小の前を通る県道松任宇ノ気線沿いの地域を中心に深刻な液状化が発生した。住宅被害は半壊以上が約690棟で、うち西荒屋小の地域では約310棟に上る。西荒屋小も被災したが、町の調査で校舎の基礎部分を修復すれば利用可能とされ、昨秋に復旧工事が始まった。一部工事は年内いっぱい行われる。
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