【奥野史子 我が道29】一番大きな夢はASのショーのプロデュース いつか必ず実現を

[ 2026年9月30日 07:00 ]

南丹市美山町で米作り。これからもいろいろなことに挑戦していきます

 2011年7月に次女を産んでからは子育てで手いっぱいで、ほとんど自分の時間が持てませんでした。

 どんどん自分が衰えていくような感じがして、このままじゃいけないと一念発起して挑戦したのがトライアスロンでした。知り合いのコーチに協力してもらい、家族の了承も得た上で始めたのですが、バイク、スイム、ランの3種目もあるので家庭と仕事の合間に練習するのがとても大変でした。しかもついつい本気になってしまい、うまくいかないとイライラが募る。主人も「マジになるんやもん」と明らかに迷惑顔で、結局石垣島で1レースしただけで“引退”しました(笑い)。

 今でも体を動かすことは好きなので、ピラティスを続けています。3年前にはアーティスティックスイミング(AS)の世界マスターズ大会にも出ました。

 最初は生涯スポーツの祭典「ワールドマスターズゲーム」が24年に関西で開催されるというので友人たちとチームを再結成したのですが、大会が27年に変更になり、23年の世界マスターズ鹿児島大会に出ました。もう50代なので久々の練習はしんどかったですが、現役時代のようにやらされている練習メニューではないので凄く楽しかったです。結果ですか?もちろん優勝しましたよ。試合に出る以上、中途半端なことはできませんからね。

 さすがにチーム再々結成の予定は今のところありませんが、他にもこれからやりたいことはたくさんあります。出演した番組でコメントしたのがきっかけで協力するようになった小児がんと闘う子供と家族の支援団体「チャイルド・ケモ・ハウス」への支援はこれからも続けていきます。客員教授を務めている大阪成蹊大では、自分の経験や考えを学生たちに伝えていきたい。

 現役を引退してからしばらくAS界とは距離を置いていましたが、娘がASを始めたことをきっかけに、今は積極的に現場に出て行くようになりました。現場の人手が足りないのは分かっているので審判員もやりますし、強化の面でも協力しています。みんなで力を合わせて、日本が表彰台の常連になってほしいという思いは強いです。

 そしてもう一つ、一番大きな夢はASのショーをプロデュースすることです。選手が引退した後もプロとしてきちんと食べていける場所を提供して、安心して競技に打ち込めるようにしてあげたい。大学院で勉強したのも日本人として初めて「シルク・ドゥ・ソレイユ」に挑戦したのも、すべてはそのためなので、いつか必ず実現したいです。 
=終わり=(構成・藤山 健二)

 ◇奥野 史子(おくの・ふみこ)1972年(昭47)4月14日生まれ、京都市出身の54歳。6歳から「京都踏水会」でシンクロを始め、同志社大2年の時に出場した92年バルセロナ五輪のソロとデュエットでともに銅メダルを獲得。94年世界選手権では「笑わないシンクロ」で史上初の芸術点オール10点満点を記録した。引退後は日本人で初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演。02年に陸上の朝原宣治と結婚した。

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