張本勲さん 4歳で右手大やけど 5歳で被爆し姉失う けんかっ早い性格理由に強豪校から断られ…

[ 2026年9月11日 05:15 ]

張本勲さん死去

幼少時代の張本勲さん(中央)
Photo By 提供写真

 【評伝】張本さんは1940年6月19日、広島で韓国人の両親の間に生まれた在日コリアン2世だった。

 4歳の時に大やけどを負った右手は、親指と人さし指は内側に曲がって伸びず、中指は半分、薬指は3分の1ほどの長さで小指はなかった。左打者にとってはバットをリードする手。「そんな不自由な手で、我ながらよくやったと思う」と振り返っている。

 45年8月6日、5歳の時に被爆。「すらっと背が高い自慢の姉」だった6歳上の姉・点子さんを亡くした。自身も被爆者健康手帳を持つ人生となった。小5から野球を始め、広島商、広陵に誘われたが「横暴性がある」という理由で断られた。「面接してくれた先生の足を蹴った。蹴ったのは覚えているが、殴った記憶はない。だが、私のことだから本当は殴ったかもしれない」とするほどけんかっ早い性格だった。その後、松本商(現瀬戸内)の夜間部に入学し、浪華商(現大体大浪商)に転校。高2の時、恩師とシベリア抑留時代の戦友だった当時の巨人・水原円裕(茂)監督と喫茶店で対面。「巨人に入らんか?」と誘われた。当時は投手。だがその後、左肩を痛めて打者に専念。それでも結果を残し58年11月に東映と契約した。

 輝かしいプロ生活を支えたのは“師匠”との出会いだった。東映打撃コーチだった松木謙治郎氏に不自由な右手のことを告白すると「右手を強化しよう。左打者は右手がエンジンで左手は方向性なんだ」と猛練習に明け暮れた。代名詞の「広角打法」を習得。不遇な時代を乗り越え、大打者への階段を駆け上がった。

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