張本勲氏 東映時代にチームメートだった白仁天氏追悼 試合前のロッカーで大杉勝男氏と殴り合いも

[ 2026年8月16日 05:30 ]

1962、来日し、キャンプ初参加の白仁天さんと(左)握手を交わすは張本勲さん
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 韓国人プロ野球選手の草分け的存在だった白仁天さんを、東映(現日本ハム)時代にチームメートだった張本勲氏(86=スポニチ本紙評論家)が追悼。当時のエピソードなどを明かした。

 私より3学年下。大事な後輩で、同じ時代を駆け抜けた仲間が亡くなるのは本当に残念だ。白仁天は非常に気が強い、強がりと言ってもいい男だった。韓国にプロ野球がない時代。その韓国から一人で来て、負けたくないという強い思いを胸に秘めていたのだろう。

 62年、韓国球界の関係者から「いい選手がいる」との話が私のところにあった。どんな選手か、見たこともないので分からない。それで練習に参加させた。捕手ということだったが、がっちりとした体で足が速い。当時の水原茂監督に推薦すると「面白いじゃないか」と獲得が決まった。

 何より言葉の壁に苦労していた。最初の1年は私の後ろにくっつき、日本語を勉強していた。気の強さは見事なもので投手にも自分のサイン通り投げさせたい。そこで投手と意見が合わなくなり、外野に転向した。この転向が日本での成功の第一歩になったと思う。

 今でも忘れられないのは試合前のロッカーでの出来事だ。白仁天は当時東映の4番だった大杉勝男と仲が悪かった。それで試合前に「けんかをさせてくれ」という。仕方がないので「10分だけだぞ」と許可した。みんなの見てる前で殴り合い。10分たって止めようとしたら大杉が「先輩、あと少しだけ。僕の方が殴った回数が1回少ないので」。今では考えられない時代のプロ野球を生き抜いた。

 80年に私が通算3000安打を達成した時はロッテでチームメートだった。82年に韓国プロ野球が発足。その際にはMBC(現LG)の兼任監督に推薦した。まさに草分けと言っていい存在だった。

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